・・・生れて、はじめての醜をさらす。扇型の花壇。そうして、ヒヤシンスグランドメーメー。ざまを見ろ。もう、とりかえしがつかないのだ。この花壇を眺める者すべて、私の胸の中の秘めに秘めたる田舎くさい鈍重を見つけてしまうにきまって居る。扇型。扇型。ああ、・・・ 太宰治 「めくら草紙」
・・・こんな人間はまず少ないであろうが、これとよく似た係蹄に我れとわが手にかかって人の虜になり生き恥をさらす人は実に数え切れないほど多数である。「めがね猿」ばかりを笑うわけにはゆかないのである。 大蛇が豚を一匹丸のみにして寝ている。「満腹」と・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・っかりでたらめな批評でも書いておいて、そうして運悪くこの批評が反古にならずに百年の後になって、もしや物好きな閑人のためにどこかの図書館の棚のちりの奥から掘り出されでもすると実にたいへんな恥を百年の後にさらすことになるのである。 百年後に・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・毎日繰り返される三原山型の記事にはとうの昔にかびがはえているが、たまに眼をさらす古典には千年を経ても常に新しいニュースを読者に提供するようなあるものがあるような気もする。きのうのうそはきょうはもう死んで腐っている。それよりは百年前の真のほう・・・ 寺田寅彦 「ジャーナリズム雑感」
・・・書かなくてもよいことを書いては恥を曝す癖のついたのはその頃からの病み付きなのである。 夏目先生、虚子、鼠骨、それから多分四方太も一処で神田連雀町の鶏肉屋でめしを食ったことがあった。どうした機会であったか忘れてしまった。その時鼠骨氏が色々・・・ 寺田寅彦 「高浜さんと私」
・・・現代の人間が四十歳くらいで得た人生観や信条をどこまでも十年一日のごとく固守して安心しているのが宜いか悪いか、それとも死ぬまでも惑い悶えて衰頽した躯を荒野に曝すのが偉大であるか愚であるか、それは別問題として、私は「四十にして不惑」という言葉の・・・ 寺田寅彦 「厄年と etc.」
・・・たとえ省察の結果が誤っていて、そのために流言が実現されるような事があっても、少なくも文化的市民としての甚だしい恥辱を曝す事なくて済みはしないかと思われるのである。 寺田寅彦 「流言蜚語」
・・・防御のない急所を矢弾の雨にさらすようなものかもしれない。その上にまた亮は弱い健康には背負いきれない「生」の望みを背負っていた。そういう不調和の結合から来るいろいろの苦悩は早くから亮の心を宗教に向かわせた。始めはキリストの教えを通ってついには・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・今の世間の実際に女子の不身持にして辱を晒す者なきに非ず、毎度聞く所なれども、斯く成果てたる其原因は、父母たる者、又夫たる者が、其女子を深く家の中に閉籠め置かざりしが故なりやと言うに、必ずしも然らず。元来品行の正邪は本人の性質に由り時の事情に・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・父母寵愛して恣に育ぬれば、夫の家に行て心ず気随にて夫に疏れ、又は舅の誨へ正ければ堪がたく思ひ舅を恨誹り、中悪敷成て終には追出され恥をさらす。女子の父母、我訓なきことを謂ずして舅夫の悪きことのみ思ふは誤なり。是皆女子の親の教なきゆゑなり。・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
出典:青空文庫