・・・ 近ごろある人に聞く、福井より三里山越にて、杉谷という村は、山もて囲まれたる湿地にて、菅の産地なり。この村の何某、秋の末つ方、夕暮の事なるが、落葉を拾いに裏山に上り、岨道を俯向いて掻込みいると、フト目の前に太く大なる脚、向脛のあたりスク・・・ 泉鏡花 「遠野の奇聞」
・・・卿は熱帯の鬱林に放たれずして、山地の碧潭に謫されたのである。……トこの奇異なる珍客を迎うるか、不可思議の獲ものに競うか、静なる池の面に、眠れる魚のごとく縦横に横わった、樹の枝々の影は、尾鰭を跳ねて、幾千ともなく、一時に皆揺動いた。 これ・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・風もなく、日は、山地に照り付けて何処からともなく蝉の声が聞えて来る。夏蜜柑の皮を剥きながら、此の草葺小屋の内を見廻した。年増の女が、たゞ独り、彼方で後向になって針仕事をしていた。そばを食べると昔の歌をうたって聞かせるという話だが、何も歌わな・・・ 小川未明 「舞子より須磨へ」
・・・それの産地だというカリフォルニヤが想像に上って来る。漢文で習った「売柑者之言」の中に書いてあった「鼻を撲つ」という言葉が断れぎれに浮かんで来る。そしてふかぶかと胸一杯に匂やかな空気を吸い込めば、ついぞ胸一杯に呼吸したことのなかった私の身体や・・・ 梶井基次郎 「檸檬」
・・・こゝで、大資本家の団体が、ある原料産地や、市場を独占していたならば、それは非常に強いし利潤も多い。そこで「国際資本団体は夢中になって、敵手から一切の競争能力を奪わんと腐心し、鉄鉱又は油田等を買収せんと努力している。而して、敵手との闘争に於け・・・ 黒島伝治 「反戦文学論」
・・・さればとて故郷の平蕪の村落に病躯を持帰るのも厭わしかったと見えて、野州上州の山地や温泉地に一日二日あるいは三日五日と、それこそ白雲の風に漂い、秋葉の空に飄るが如くに、ぶらりぶらりとした身の中に、もだもだする心を抱きながら、毛繻子の大洋傘に色・・・ 幸田露伴 「観画談」
・・・この子は十八の歳に中学を辞して、私の郷里の山地のほうで農業の見習いを始めていた。これは私の勧めによることだが、太郎もすっかりその気になって、長いしたくに取りかかった。ラケットを鍬に代えてからの太郎は、学校時代よりもずっと元気づいて来て、翌年・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・あの恵那山の見える山地のほうから、次郎はかなり土くさい画を提げて出て来た。この次郎は、上京したついでに、今しばらく私たちと一緒にいて、春の展覧会を訪ねたり、旧い友だちを見に行ったりして、田舎の方で新鮮にして来た自分を都会の濃い刺激に試みよう・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・山梨県は、もともと甲斐犬の産地として知られているようであるが、街頭で見かける犬の姿は、けっしてそんな純血種のものではない。赤いムク犬が最も多い。採るところなきあさはかな駄犬ばかりである。もとより私は畜犬に対しては含むところがあり、また友人の・・・ 太宰治 「畜犬談」
・・・しかし実は産地の旱魃のためであった。近ごろの新聞には、亭主が豆腐を一人で食ってしまって自分に食わせないという理由で自殺した女房のことが伝えられた。まさかこれほどではないまでも歴史の中にはこれに類するものが存外にたくさんあるであろうと想像され・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
出典:青空文庫