・・・多くの人はその傍を散歩して居る。それでもその花一つ取る者は仮にもない。どんな子供でも決して取るなんという事はないそうだ。それが日本ではどうだ。白壁があったら楽書するものときまって居る。道端や公園の花は折り取るものにきまって居る。もし巡査が居・・・ 正岡子規 「墓」
・・・柳橋の何屋に、などと来るだろう。柳橋の三浦屋サ先日高尾が無理心中をしたその跡釜へ今日小紫を抱えたのサもっとも小紫は吉原の大文字に居たのだが昨日自由廃業したと、チャント今朝の『二六』に出て居るじゃないか、とまじめにいうと、アラいやだよ人を馬鹿・・・ 正岡子規 「煩悶」
・・・明日の朝ね、雨がはれたら結婚式の前に一寸散歩しようと云ってあいつを引っぱり出して、あそこの萱の刈跡をあるくんだよ。僕らも少しは痛いだろうがまあ我慢してさ。するとあいつのゴム靴がめちゃめちゃになるだろう。」「うん。それはいいね。しかし僕は・・・ 宮沢賢治 「蛙のゴム靴」
・・・食堂でよく会う黒人党員がいつも一緒なロシア婦人党員と白い息をハーハーふきながら愉快この上ない顔つきで散歩している。一行はドイツ人もアメリカ人も混って、食事の時は婦人党員がドイツ語、英語、ロシア語でやっているのだ。(モスクワを立つ前、こんな事・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
・・・ 菊池寛は、「三浦右衛門の最後」「俊寛」等で武士道徳のしきたりよりも更に強い人間の生命への執着と生の力の強靭さというようなものをその原形において押し出している。風変りな俊寛は、鬼界ヶ島で鬼と化した謡曲文学の観念を吹きはらって、勇壮に鰤釣・・・ 宮本百合子 「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」
・・・永山氏の紹介で、現住三浦氏が各建物を案内し大方丈の戸にある沈南蘋の絵を見せて呉られた。護法堂の布袋、囲りに唐児が遊れて居る巨大な金色の布袋なのだが、其が彫塑であるという専門的穿鑿をおいても、この位心持よい布袋を私は初めて見た。布袋というもの・・・ 宮本百合子 「長崎の一瞥」
・・・――三浦実道氏に、永山氏からの名刺を出した。 崇福寺などと同様、この福済寺も朱塗で、大棟に鯱や宝珠のついた明風建築だが、崇福寺よりは規模も大きいし、見た目に幾分厳正な感じを与えられる。青蓮堂の軒に、紫檀を枠にした古風なぎやまん細工の大燈・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・戦争御用の芝居をもってあっちこっち打ってまわらなければならなかったろう。三浦環まで満州へ慰問に行かなければならない日本であったのだから。どの程度経済事情がわるかったろう? 文学の人のように、いい作家でも貧乏し、いじめられつづけて来たのだろう・・・ 宮本百合子 「俳優生活について」
・・・印度の港で魚のように波の底に潜って、銀銭を拾う黒ん坊の子供の事や、ポルトセエドで上陸して見たと云う、ステレオチイプな笑顔の女芸人が種々の楽器を奏する国際的団体の事や、マルセイユで始て西洋の町を散歩して、嘘と云うものを衝かぬ店で、掛値と云うも・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・二人が剃髪した亀蔵を三浦坂まで送って別れたのが二月十九日の事である。亀蔵はその時茶の弁慶縞の木綿綿入を着て、木綿帯を締め、藍の股引を穿いて、脚絆を当てていた。懐中には一両持っていた。 亀蔵は二十二日に高野領清水村の又兵衛と云うものの家に・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫