・・・ 朝飯が済んでしばらくすると、境はしくしくと腹が疼みだした。――しばらくして、二三度はばかりへ通った。 あの、饂飩の祟りである。鶫を過食したためでは断じてない。二ぜん分を籠みにした生がえりのうどん粉の中毒らない法はない。お腹を圧えて・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・そのことが、頭にあるとみえて、いま大きな犬に追いかけられた夢を見てしくしくと泣いていました。無邪気なほおの上に涙が流れて、うす暗い燈火の光が、それを照らしています。」と、やさしい星は答えました。 すると、いままで黙っていた、遠方にあった・・・ 小川未明 「ある夜の星たちの話」
・・・そして、犬の後を追って門のところまで出てきてみますと、もはや犬が外をもふり向かずに三郎についてあっちへゆきかけますので、中にも一人の子供は、しくしく声をたって泣き出しました。「君、その犬をつれていってはいけない。」と、その中の一人が・・・ 小川未明 「少年の日の悲哀」
・・・ 真吉は、たまらなくなって、しくしくとそでに顔をあてて泣いたのでした。そのうちに汽車は動き出しました。だんだん走ると、いつか、見覚えのある山までが、ついに見えなくなってしまいました。「いまごろ、お母さんは、どうしていられるだろう。」・・・ 小川未明 「真吉とお母さん」
・・・二 その日、光治は学校の帰りに、しくしくと泣いて、我が家の方をさして路を歩いてきました。それは三人にいじめられたばかりでなく、みんなからのけ者になったというさびしさのためでありました。真夏の午後の日の光は田舎道の上を暑く照ら・・・ 小川未明 「どこで笛吹く」
・・・また、奉公をしてからも、夢の中で、お母さんと話をして、目がさめてから、しくしくと泣いたこともありました。 そんなことを思うと、隣村から、この都会にきている、顔を知らない少年もやはり自分と同じように、はじめは、泣いたであろう、また、さびし・・・ 小川未明 「隣村の子」
・・・これを聞いていた源三はしくしくしくしくと泣き出したが、程立って力無げに悄然と岩の間から出て、流の下の方をじっと視ていたが、堰きあえぬ涙を払った手の甲を偶然見ると、ここには昨夜の煙管の痕が隠々と青く現れていた。それが眼に入るか入らぬに屹と頭を・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・ とまたお三輪が言うと子守娘はそれを聞いて、一層しくしく泣いた。この娘は、焼けない前から小竹の家に奉公していたもので、東京にある身内という身内は一人も大火後に生き残らなかった。全く独りぼっちになってしまったような娘だ。お三輪について一緒・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・変だと思いながら、あり合せの下駄を提げて井戸端へ出て、足を洗おうとしていると、誰かしら障子の内でしくしくと啜り泣きをしている。障子を開けてみると章坊である。足を投げ出してしょんぼりしている。「どうしたんだ」と問えど、返事もしないでただ涙・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・なぜか、涙が出た。しくしく嗚咽をはじめた。おれは、まだまだ子供だ。子供が、なんでこんな苦労をしなければならぬのか。 突然、傍のかず枝が、叫び出した。「おばさん。いたいよう。胸が、いたいよう。」笛の音に似ていた。 嘉七は驚駭した。・・・ 太宰治 「姥捨」
出典:青空文庫