・・・それより若くは見えなかった。 女はどうぞとこちらを向いて、宿の丹前の膝をかき合わせた。乾燥した窮屈な姿勢だった。座っていても、いやになるほど大柄だとわかった。男の方がずっと小柄で、ずっと若く見え、湯殿のときとちがって黒縁のロイド眼鏡を掛・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・誰か同じく脚に傷を負って、若くは腹に弾丸を有って、置去の憂目を見ている奴が其処らに居るのではあるまいか。唸声は顕然と近くにするが近処に人が居そうにもない。はッ、これはしたり、何の事た、おれおれ、この俺が唸るのだ。微かな情ない声が出おるわい。・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・そして耕吉の落着先きを想わせ、また子供の時分から慣れ親しんできた彼には、言い知れぬ安易さを感じさせるような雪国らしいにおいが、乗客の立てこんでくるにしたがって、胸苦しく室の中に吐き撒かれていた。「明日から自分もこの一人になるのだ」と、彼・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・……後妻はどうしても若くもあるし、……あなたも私とあのようになっていたら、今ごろは若い別嬪の後妻が貰えてよかったんでしょうに」「そうしたもんかもしれんな。してみると老父へも同情しなければ……。俺はいっこうばかだから、そうしたことさえお前・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・と引っ込んで居る人ではなかったのですが、この時は妙に温しく「止しときましょうか」といって、素直にそれを思いとどめました。 十八日、浮腫はいよいよひどく、悪寒がたびたび見舞います。そして其の息苦しさは益々目立って来ました。この日から酸素吸・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・ 私のながらくの空想は、かくの如くにして消えてしまった。しかしこういうことにはきりがないと見える。この頃、私はまた別なことを空想しはじめている。 それは、猫の爪をみんな切ってしまうのである。猫はどうなるだろう? おそらく彼は死んでし・・・ 梶井基次郎 「愛撫」
・・・そしてその思いにも落ちつき、新しい周囲にも心が馴染んで来るにしたがって、峻には珍しく静かな心持がやって来るようになった。いつも都会に住み慣れ、ことに最近は心の休む隙もなかった後で、彼はなおさらこの静けさの中でうやうやしくなった。道を歩くのに・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・そして茣蓙を敷くやいなやすぐその上へ跳び込んで、着物ぐるみじかに地面の上へ転がれる自由を楽しんだりする」そんなことを思いながら彼はすぐにも頬ぺたを楓の肌につけて冷やしてみたいような衝動を感じた。「やはり疲れているのだな」彼は手足が軽く熱・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・光代は傍に聞いていたりしが、それでもあの綱雄さんは、もっと若くって上品で、沈着いていて気性が高くって、あの方よりはよッぽどようござんすわ。と調子に確かめて膝押し進む。ホイ、お前の前で言うのではなかった。と善平は笑い出せば、あら、そういうわけ・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・小松の温泉に景勝の第一を占めて、さしも賑わい合えりし梅屋の上も下も、尾越しに通う鹿笛の音に哀れを誘われて、廊下を行き交う足音もやや淋しくなりぬ。車のあとより車の多くは旅鞄と客とを載せて、一里先なる停車場を指して走りぬ。膳の通い茶の通いに、久・・・ 川上眉山 「書記官」
出典:青空文庫