・・・ただ惜しいことには至芸にのみ望み得られる強い衝動が欠けていた。アメリカン・レビューにはそういう古典的な意味での音楽などはない代りに、オリンピックのグラウンドや拳闘のリンクに見らるる活力の鼓動と本能の羽搏きのようなものをいくらかでも感ずること・・・ 寺田寅彦 「マーカス・ショーとレビュー式教育」
・・・そして、街頭は、人出が繁いのであるが、さて、今日地道な生活の人々はもう値段かまわぬ買物をして暮す気分ではなくなった。戦時利得税をいずれ払わなくてはならず、しかも、大財閥に対してのように、政府が様々の法式を考案して、とり上げた金をまた元に戻し・・・ 宮本百合子 「人民戦線への一歩」
・・・仮令先について居るたまが金むくであろうとも、二米のゴム管を十二指腸へ送り込む芸当は優美にして 快適な至芸ではない。自分は一生の間に屡々此は繰りかえしたくないことだと思った。そこで、眉毛が目の三倍位長い医者に質問した。――私は自分の胆嚢が・・・ 宮本百合子 「一九二九年一月――二月」
・・・ 音や人目や色彩や、それが余り繁いので、つまり無いと同じ雑踏の中で油井はみのえの手を執り、自分の傍へ引きよせた。油井が大人の男であるのがみのえの満足であった。彼はけちな、直き赭い顔をする中学生ではない。母親の横顔はつい三四人隔てて見えて・・・ 宮本百合子 「未開な風景」
・・・ 赤羅紗服地の見本みたいに念の入った恰好をした英国の兵士達が剣がわりの杖を小脇に挾みながら人通の繁いハイド・パアク・コオナアで横目を使った。そこでは乗合自動車を降りるとその足で真直「婦人用」と札の下った公園の鉄柵中へ行く女は大勢ある。・・・ 宮本百合子 「ロンドン一九二九年」
出典:青空文庫