・・・強いて云えば天気の晴曇や日常の支障というような偶然の出来事のために一日早く見付けるかどうかという事が問題になるだけであろう。 この説明は子供には、よく分らないらしかった。 そのうちにまた曇天が続いて朝晩はもう秋の心地がする。どうかす・・・ 寺田寅彦 「小さな出来事」
・・・暴風にテントを飛ばされたり、落雷のために負傷したり、そのほか、山くずれ、洪水などのために一度や二度死生の境に出入しない測量部員は少ないそうである。それにもかかわらず技術官で生命をおとした人はほとんどないというのは畢竟多年の経験による周到な準・・・ 寺田寅彦 「地図をながめて」
・・・ 自分の洋行の留守中に先生は修善寺であの大患にかかられ、死生の間を彷徨されたのであったが、そのときに小宮君からよこしてくれた先生の宿の絵はがきをゲッチンゲンの下宿で受け取ったのであった。帰朝して後に久々で会った先生はなんだか昔の先生とは・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・破壊的で壊家を生じ死傷者を出すようなのでも三四年も待てばきっと帝国領土のどこかに突発するものと思って間違いはない。この現象はわが国建国以来おそらく現代とほぼ同様な頻度をもって繰り返されて来たものであろう。日本書紀第十六巻に記録された、太子が・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・忙中に閑ある余裕の態度であり、死生の境に立って認識をあやまらない心持ちである。「風雅の誠をせめよ」というは、私を去った止水明鏡の心をもって物の実相本情に観入し、松のことは松に、竹のことは竹に聞いて、いわゆる格物致知の認識の大道から自然に誠意・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・そしてそれは死生の境に出入する大患と、なんらかの点において非凡な人間との偶然な結合によってのみ始めて生じうる文辞の宝玉であるからであろう。 岩波文庫の「仰臥漫録」を夏服のかくしに入れてある。電車の中でも時々読む。腰かけられない時は立った・・・ 寺田寅彦 「備忘録」
・・・今は京都でお茶の師匠をしているそうですが……」 道太は辰之助からその家にあった骨董品の話などを聞きながら、崖の下を歩いていた。飯を食う処は、その辺から見える山の裾にあったが、ぶらぶら歩くには適度の距離であった。道太はいたるところで少年時・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・わたくしは仲の町の芸人にはあまり知合いがないが、察するところ、この土地にはその名を知られた師匠株の幇間であろうと思った。 この男は見て見ぬように踊子たちの姿と、物食う様子とを、楽し気に見やりながら静かに手酌の盃を傾けていた。踊子の洋装と・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・わたしは朝寝坊夢楽という落語家の弟子となり夢之助と名乗って前座をつとめ、毎月師匠の持席の変るごとに、引幕を萌黄の大風呂敷に包んで背負って歩いた。明治三十一、二年の頃のことなので、まだ電車はなかった。 当時のわたしを知っているものは井上唖・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
根津の大観音に近く、金田夫人の家や二弦琴の師匠や車宿や、ないし落雲館中学などと、いずれも『吾輩は描である』の編中でなじみ越しの家々の間に、名札もろくにはってない古べいの苦沙弥先生の居は、去年の暮れおしつまって西片町へ引・・・ 夏目漱石 「僕の昔」
出典:青空文庫