・・・ 何物を以ても抗し得ぬ時代の潮に今日も明日もとただよいながら、しばしば私に迫り、ややもすれば私の四肢を、心臓をまひさせ様とした力強い潮流の一つを見出した。 深い紺碧をたたえてとうとうとはて知らず流れ行く其の潮は、水底の数知れぬ小石の・・・ 宮本百合子 「大いなるもの」
・・・ けれども、若し、明日、彼を、冷たい、動かない死屍として見なければならなかったら、どうでしょう! 心が息を窒めてしまいます。 私がそれを信じ、それに遵おうと思わずにはいられない愛の理想的状態と、真実に反省して見出した愛の現状との・・・ 宮本百合子 「偶感一語」
・・・ 民主的批評は、たしかに、新しくてしなやかに若い四肢をもとうとしている。多面的であろうとしている。しかし、それがたやすい仕事でないことは、たとえば『新日本文学』六月号瀬沼茂樹の作品評に示されていたと思う。瀬沼茂樹は去年の末、批評の無力論・・・ 宮本百合子 「現代文学の広場」
・・・ これらのことが心にひっかかって来るというのも先頃高見順氏が獅子と鼠との喩えばなしで非力なるものとしての文学の力ということを書いて、一般に反響をもった、そのことと自然連関しているのだと思う。 今日私たちは何故、文学を別の何かと比・・・ 宮本百合子 「作品の主人公と心理の翳」
・・・ 彼女等は、思いのままに延びた美くしい四肢の所有者であり、朗らかな六月の微風に麗わしい髪を吹きなびかせながら哄笑する心の所有者でございます。 広大な地と、高燥な軽い空気は、自ずと住む人間の心を快活に致します。のみならず、婦人に向って・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・『人間』十一月号に、獅子文六、辰野隆、福田恆存の「笑いと喜劇と現代風俗と」という座談会がある。日本の人民が笑いを知っていないということについて語りあわれているのだが、その中に次のような一節がある。辰野 福田さんの「キティ颱風」だって・・・ 宮本百合子 「「下じき」の問題」
・・・然し、完全な四肢を与えられた者が、自分で自分の足の始末も出来ないでどうしましょう。又、そこまで身を曲げることも出来ないように高く堅いコーセットを胸に巻きつける必要が何処にありましょう。若い、健康な胸は、そのままで美しいのです。恐らく、彼女等・・・ 宮本百合子 「男女交際より家庭生活へ」
・・・自分に不当な苦痛や罵詈を与えた者達は、最後まで正しかった者の死屍に対して、どんな悔恨に撃たれながら、頭を垂れるだろう、白い衣を着せられ、綺麗な花で飾った柩に納められた自分が、最後の愛情によって丁寧に葬られる様子が、まざまざと目前に浮み上って・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
・・・について語っていた時分、十歳年下のトルストイはセバストウポリの要塞で戦争の恐ろしい光景を死屍の悪臭とともに目撃していた。パリでトルストイに一生忘られない戦慄を与えたのは娼婦のあでやかな流眄ではなくて、ギロチンにかけられた死刑囚の頭と胴とが別・・・ 宮本百合子 「ツルゲーネフの生きかた」
・・・ 三つ折にしたコートの中に手を入れて彼女は、しゃんと体を保って居ようとしたが、四肢の隅々から、ぐんぐんとさしのぼって来る心のゆるみにともなった訳の分らないたよりなさが、いつの間にか、グッタリと、頭を下げさせてしまった。列車がこんで次の部・・・ 宮本百合子 「「禰宜様宮田」創作メモ」
出典:青空文庫