・・・しかし私は猫のこの挙動に映じた人間の姿態を熟視していると滑稽やら悲哀やらの混合した妙な心持ちになるのである。 このぶんでは今に子猫は死んでしまいそうな気がした。時々食ったものをもどして敷き物をよごすような事さえあった。夜はもう疲れ切って・・・ 寺田寅彦 「ねずみと猫」
・・・ 病院で手術した患者の血や、解剖学教室で屍体解剖をした学生の手洗水が、下水を通して不忍池に流れ込み、そこの蓮根を肥やすのだと云うゴシップは、あれは嘘らしい。 廊下の東詰の流しの上の明かり窓から病院の動物小屋が見える。白兎やモルモット・・・ 寺田寅彦 「病院風景」
・・・しかるに二人の話し合っている姿態から顔の表情に至っては全く日本人離れがしている。周囲のおおぜいの乗客はたった今墓場から出て来たような表情であるのに、この二人だけは実に生き生きとしてさも愉快そうに応答している。それが夫婦でもなくもちろん情人で・・・ 寺田寅彦 「LIBER STUDIORUM」
・・・丈はすらりとした方だが、そう大きくもなく、姿態がほどよく整っていた。 道太たちが長火鉢に倚ろうとすると、彼女は中の間の先きの庭に向いた部屋へ座蒲団を直して、「そこは暑いぞに。ここへおいでたら」と勧めた。「この家も久しいもんだね。・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・秘密、秘密、何もかも一切秘密に押込めて、死体の解剖すら大学ではさせぬ。できることならさぞ十二人の霊魂も殺してしまいたかったであろう。否、幸徳らの躰を殺して無政府主義を殺し得たつもりでいる。彼ら当局者は無神無霊魂の信者で、無神無霊魂を標榜した・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・西洋の名画にちなんだ姿態を取らせて、モデルの裸体を見せるのはジャズ舞踊の間にはさんでやるのである。見てしまえば別に何処が面白かったと言えないくらいなもので、洗湯へ行って女湯の透見をするのと大差はない。興味は表看板の極端な絵を見て好奇心に駆ら・・・ 永井荷風 「裸体談義」
・・・矢っ張りそれは死体だった。そして極めて微かに吐息が聞えるように思われた。だが、そんな馬鹿なこたあない。死体が息を吐くなんて――だがどうも息らしかった。フー、フーと極めて微かに、私は幾度も耳のせいか、神経のせいにして見たが、「死骸が溜息をつい・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・ 二人の子供たちは、今まで、方々の仕事場で、幾つも幾つも、惨死した屍体を見るのに馴れていた。物珍らしそうに見ていたので、殴り飛ばされたりした事もあった。 けれども、自分の父親が、そんな風にして死ぬものとは思わなかった。だのに、今、二・・・ 葉山嘉樹 「坑夫の子」
・・・その同じ時刻に、安岡が最期の息を吐き出す時に、旅行先で深谷が行方不明になった。 数日後、深谷の屍骸が渚に打ち上げられていた。その死体は、大理石のように半透明であった。 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・窮屈なというのは狭い棺に死体を入れる許りでなく、其死体がゆるがぬように何かでつめるのが厭やなのである。余が故郷などにてはこのつめ物におが屑を用いる。半紙の嚢を二通りに拵えてそれにおが屑をつめ、其嚢の上には南無阿弥陀仏などと書く。これはつめ処・・・ 正岡子規 「死後」
出典:青空文庫