・・・という奇妙な映画で、台湾の物産会社の東京支店の支配人が、上京した社長をこれから迎えるというので事務室で事務成績報告の予行演習をやるところがある。自分の椅子に社長をすわらせたつもりにして、その前に帳簿を並べて説明とお世辞の予習をする。それが大・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・三越支店の食堂は満員であった。 月寒の牧場へ行ったら、羊がみんな此方を向いて珍しそうにまじまじと人の顔を見た。羊は朝から晩まで草を食うことより外に用がないように見える。草はいくら食ってもとても食い切れそうもないほど青々と繁茂しているので・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
・・・しばらく歩いて帰って来て見ると目くぎはもうさされていて、支点の軸に油をさしているところであった。店先へ中年の夫婦らしい男女の客が来て、出刃庖丁をあれかこれかと物色していた。……私がどういうわけで芝刈り鋏を買っているかがこの夫婦にわからないと・・・ 寺田寅彦 「芝刈り」
・・・夜熊本の町を散歩して旅館研屋支店の前を通ったとき、ふと玄関をのぞき込むと、帳場の前に国見山が立っていて何かしら番頭と話をしていた。そのときのこの若くて眉目秀麗な力士の姿態にどこか女らしくなまめかしいところのあるのを発見して驚いたことであった・・・ 寺田寅彦 「相撲」
・・・その嘴が長いやっとこ鋏のようになって、その槓杆の支点に当るねじ鋲がちょうど眼玉のようになっている。鳥の身体や脚はただ鎚でたたいて鍛え上げたばかりの鉄片を組合せて作ったきわめて簡単なもののように見える。鉄はところどころ赤く錆びている。それにも・・・ 寺田寅彦 「夢」
・・・日本の文学感覚はまだもろく弱くて、文学といえば、人は理性の視点と水平なものとしてそれを感じないくせがある。戦争は、客観的な真実に対して素直である人間の理性をうちこわした。そしてわたしたちは長い間、客観的な文芸評論というものを持たされなかった・・・ 宮本百合子 「巖の花」
・・・大づかみに、ぐんと人生を掴まず視点が揺れ、作家としての心が弱すぎた。為に、あれ丈文化的価値を裏に持った素材が、明かにこなされ切れなかった。 時に、彼の精神の或面に、私が、物足りなさによる侮蔑に近いものを感じたのは争われない。何か、この先・・・ 宮本百合子 「有島武郎の死によせて」
・・・日本文学史全巻を担当される近藤忠義が、篤学、正確な視点をもたれる学者であることは、読者にとっての幸運であるし、同時に今日の文学の諸相のみを扱う私にとって一つの幸な安心である。〔一九三七年十月〕・・・ 宮本百合子 「意味深き今日の日本文学の相貌を」
・・・ けれ共有難い事には、此の一二年同じ動くにしても、或る一点の支点だけは不動に確立して居る事を信じられる様になったのは嬉しい。 只それ丈で、どんなに動かされても堪えられ幾分ずつなりとも育てられては行きますけれどまだまだ私の心は若すぎる・・・ 宮本百合子 「動かされないと云う事」
・・・と云っておられるが、鴎外はこの佐橋の生涯の行きかた、それへの家康の忘れない戒心というものを、只、好みの人物という視点から扱ったのだろうか。 阿部彌一右衛門は、人間の性格的相剋を主従という封建の垣のうちに日夜まむきに犇めきとおして遂に、悲・・・ 宮本百合子 「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」
出典:青空文庫