・・・が、その家に伝わったもので、画は面白くなくても椿岳の師伝を証する作である。椿年歿して後は高久隆古に就き、隆古が死んでからは専ら倭絵の粉本について自得し、旁ら容斎の教を受けた。隆古には殊に傾倒していたと見えて、隆古の筆意は晩年の作にまで現れて・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・渡辺橋から市電で阿倍野まで行き、そこから大鉄電車で――と説明しかけると、いや、歩いて行くつもりだと言う。そら、君、無茶だよ。だって、ここから針中野まで何里……あるかもわからぬ遠さにあきれていると、実は、私は和歌山の者ですが、知人を頼って西宮・・・ 織田作之助 「馬地獄」
・・・私は彼の姿を見なかったが、先日、それは戦争がすんでからまだ四五日たっていない日のことであった。私は市電に乗っている彼の姿を見た。彼は国民服を着て、何か不安な面持ちで週刊雑誌を読んでいた。そしてふと顔を上げて、私を見ると、あわてて視線を外らし・・・ 織田作之助 「髪」
・・・御遠慮なく……。市電がなくなるといけませんから」 もう夜の十時十八分であった。「でも、あと二分ですから、見送らせていただきますわ」 時計を見て、言った。発車は十時二十分である。「二分か。この二分の間に、俺は何か言わねばならな・・・ 織田作之助 「昨日・今日・明日」
・・・ 今里なら中央局から市電で一時間で行けるし、電報でわざわざ呼び寄せなくともと思ったが、しかし、それを訊くのは余りに立ち入ることになるので新吉は黙っていると、女は、「――ウナで打っているんですけど、市内で七時間も掛ってますから、間に合・・・ 織田作之助 「郷愁」
・・・ 難波へ出るには、岸ノ里で高野線を本線に乗りかえるのだが、乗りかえが面倒なので、汐見橋の終点まで乗り、市電で戎橋まで行った。 戎橋の停留所から難波までの通りは、両側に闇商人が並び、屋号に馴染みのないバラックの飲食店が建ち、いつの間に・・・ 織田作之助 「神経」
・・・最初私が美人座へ行ったのは、その頃私の寄宿していた親戚の家がネオンサインの工事屋で、たまたま美人座の工事を引受けた時、クリスマスの会員券を売付けられ、それを貰ったからであるが、戎橋の停留所で市電を降り、戎橋筋を北へ丸万の前まで来ると、はや気・・・ 織田作之助 「世相」
・・・下鴨から鹿ヶ谷までかなりの道のりだが、なぜだか市電に乗る気はせず、せかせかと歩くのだ。 そんなあの人の恰好が眼に見えるようだ。高等学校の生徒らしく、お尻に手拭いをぶら下げているのだが、それが妙に塩垂れて、たぶん一向に威勢のあがらぬ恰好だ・・・ 織田作之助 「天衣無縫」
・・・上塩町に三十年住んで顔が広かったからかなり多かった会葬者に市電のパスを山菓子に出し、香奠返しの義理も済ませて、なお二百円ばかり残った。それで種吉は病院を訪ねて、見舞金だと百円だけ蝶子に渡した。親のありがたさが身に沁みた。柳吉の父が蝶子の苦労・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・市ヶ谷見附の市電の停留場にたどりついたときは、ほとんど呼吸ができないくらいに、からだが苦しく眼の先がもやもや暗くて、きっとあれは気を失う一歩手前の状態だったのでございましょう。停留場には人影ひとつ無かったのでした。たったいま、電車が通過した・・・ 太宰治 「誰も知らぬ」
出典:青空文庫