・・・ 昼間ッからの霧雨がしとしと降りになって来たで、皆胴の間へもぐってな、そん時に千太どんが漕がしっけえ。 急に、おお寒い、おお寒い、風邪揚句だ不精しょう。誰ぞかわんなはらねえかって、艫からドンと飛下りただ。 船はぐらぐらとしただが・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・道の真中は乾いているが、両側の田についている所は、露にしとしとに濡れて、いろいろの草が花を開いてる。タウコギは末枯れて、水蕎麦蓼など一番多く繁っている。都草も黄色く花が見える。野菊がよろよろと咲いている。民さんこれ野菊がと僕は吾知らず足を留・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
大晦日に雪が降った。朝から降り出して、大阪から船の著く頃にはしとしと牡丹雪だった。夜になってもやまなかった。 毎年多くて二度、それも寒にはいってから降るのが普通なのだ。いったいが温い土地である。こんなことは珍しいと、温・・・ 織田作之助 「雪の夜」
・・・ 三 その夜八時過ぎでもあろうか、雨はしとしと降っている、踏切の八百屋では早く店をしまい、主人は長火鉢の前で大あぐらをかいて、いつもの四合の薬をぐびりぐびり飲っている、女房はその手つきを見ている、娘のお菊はそばで・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・五分切りもかたはら痛きに、とうふのかたさは芋よりとはあまりになさけなかりければ、塩辛き浮世のさまか七の戸の ほそきどじょうの五分切りの汁 十四日、朝早く立て行く間なく雨しとしとふりいでぬ。きぬぎぬならばやらず・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・これは、面白い、とひとりで首を振りながら感服なさって腕組みをし、しとしとは、どうか、それじゃ春雨の形容になってしまうか、やはり、さらさらに、とどめを刺すかな? そうだ、さらさらひらひら、と続けるのも一興だ。さらさらひらひら、と低く呟いてその・・・ 太宰治 「千代女」
・・・梅雨前らしいしとしと雨であった。暗い田舎道を揺れながら乱暴に電車が疾走する。その窓硝子へ雨がかかり、内部の電燈で光って見える。なほ子は停留場へつく前に座席を立ち、注意して窓の外を覗いた。誰か迎えに来ていて呉れるであろうか。時間がおそかったし・・・ 宮本百合子 「白い蚊帳」
・・・ 黒い毛並みをしとしと小雨がうるおして背は冷たく輝いて大きな眼には力強さと自由が満ちて居る。いかにものんきらしい若やいだ様子だ。 枯草の上を一足一足ときっぱり歩く足はスッキリとしまって育ったひづめの音がおだやかに響く。 小鳥さえ・・・ 宮本百合子 「旅へ出て」
不図眼がさめると、いつの間にか雨が降り出している。夜なか、全速力で闇を貫き駛っている汽車に目を開いて揺られている心持は、思い切ったような陰気なようなものだ。そこへ、寝台車の屋蓋をしとしと打って雨の音がする。凝っと聴いている・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・ 翌日はまた春に有りがちなしとしと雨が銀線を匂やかな黒土の上におちて居た。落ちた桜の花弁はその雨にポタポタとよごされて居る。 光君は椽に坐って肩まで髪をたれた童達が着物のよごれるのを忘れてこまかい雨の中を散った花びらをひろっては並べ・・・ 宮本百合子 「錦木」
出典:青空文庫