・・・それから五月か六月には、南の方では、大抵支那の揚子江の野原で大きなサイクルホールがあるんだよ。その時丁度北のタスカロラ海床の上では、別に大きな逆サイクルホールがある。両方だんだんぶっつかるとそこが梅雨になるんだ。日本が丁度それにあたるんだか・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・ 山男は顔をまっ赤にし、大きな口をにやにやまげてよろこんで、そのぐったり首を垂れた山鳥を、ぶらぶら振りまわしながら森から出てきました。 そして日あたりのいい南向きのかれ芝の上に、いきなり獲物を投げだして、ばさばさの赤い髪毛を指でかき・・・ 宮沢賢治 「山男の四月」
・・・又、いつかは「支那さん」と呼ばれている人々の記述も広汎な世界の文学の領野にあらわれて来る日があるであろう。その研究の中にも、日本の文学を前進させる力がひそめられていることは疑いはないのである。〔一九三七年十二月〕・・・ 宮本百合子 「明日の言葉」
・・・ 赤の他人にはよくして、身内の事は振り向きもしない。お君の親達は「百面相」だの「七面鳥の様な」と云って居た。 それでも、叱られ叱られ毎日、朝から晩まで、こせこせ働いて居たうちは、いろいろな仕事に気がまぎれて、少時の間辛い事を忘れて居・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・ 一言自分のために―― こんな事も思って娘のあの早口さを思い出したりしながらも昼間その家の前の一本道なんかで会うときっと道もない畑の中をわたって反対の方に行ってしまった。 おどおどしながら仙二はまだ若い娘が落ついた取りすました・・・ 宮本百合子 「グースベリーの熟れる頃」
・・・ 三 一日に泊った翌日帰りしなになって、健康の話が出た。「指で抓んで見て、皮と身が離れるのが分るようじゃいけないんだそうですね」「そりゃそうでしょう」「こうして見て――」 網野さんは軽く拇指・・・ 宮本百合子 「九月の或る日」
・・・武士は名聞が大切だから、犬死はしない。敵陣に飛び込んで討死をするのは立派ではあるが、軍令にそむいて抜駈けをして死んでは功にはならない。それが犬死であると同じことで、お許しのないに殉死しては、これも犬死である。たまにそういう人で犬死にならない・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・主簿といえば、刺史とか太守とかいうと同じ官である。支那全国が道に分れ、道が州または郡に分れ、それが県に分れ、県の下に郷があり郷の下に里がある。州には刺史といい、郡には太守という。一体日本で県より小さいものに郡の名をつけているのは不都合だと、・・・ 森鴎外 「寒山拾得」
・・・ 寺でも主簿のご参詣だというので、おろそかにはしない。道翹という僧が出迎えて、閭を客間に案内した。さて茶菓の饗応が済むと、閭が問うた。「当寺に豊干という僧がおられましたか」 道翹が答えた。「豊干とおっしゃいますか。それはさきころまで・・・ 森鴎外 「寒山拾得」
・・・そこの調理場では、皮をひき剥かれた豚と牛の頭が眠った支那人の首のように転んでいた。職工達は狭い机の前にずらりと連んで黙っていた。だが、盛り飯の廻りが遅れると彼らは箸で茶碗を叩き出した。湯気が満ちると、彼らの顔は赤くなって伸縮した。 牛の・・・ 横光利一 「街の底」
出典:青空文庫