・・・この絵を描いたろうそくを山の上のお宮にあげて、その燃えさしを身につけて、海に出ると、どんな大暴風雨の日でも、けっして、船が転覆したり、おぼれて死ぬような災難がないということが、いつからともなく、みんなの口々に、うわさとなって上りました。・・・ 小川未明 「赤いろうそくと人魚」
・・・この困憊した体を海ぎわまで持って行って、どうした機でフラフラと死ぬ気にならないものでもないと思うと、きゅうに怖しくなって足が竦んだ。 私は暗い路ばたに悄り佇んで、独り涙含んでいたが、ふと人通りの途絶えた向うから車の轍が聞えて、提灯の火が・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・それを、おめおめと……、しかし、私は旅費を貰いながら、大阪へ帰ったら、死ぬつもりでした。そんなものを貰った以上、死ぬよりほかはもう浮びようがない。もう一度大阪の灯を見て死のうと思いました。その時の気持はせんさくしてみれば、ずいぶん複雑でした・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・昨日……たしか昨日と思うが、傷を負ってから最う一昼夜、こうして二昼夜三昼夜と経つ内には死ぬ。何の業くれ、死は一ツだ。寧そ寂然としていた方が好い。身動がならぬなら、せんでも好い。序に頭の機能も止めて欲しいが、こればかりは如何する事も出来ず、千・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・私は都会の寒空に慄えながら、ずいぶん彼女たちのことを思ったのだが、いっしょに暮すことができなかったので、私は雪おんなの子を抱いてやるとその人は死ぬという郷里の伝説を藉りて、そうした情愛の世界は断ち切りたいと、しいて思ったものであった。「雪子・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・私も男です。死ぬなら立派に死にます」と仰臥した胸の上で合掌しました。其儘暫く瞑目していましたが、さすが眼の内に涙が見えました。それを見ると私は「ああ、可愛想な事を言うた」と思いました。病人は「お母さん、もう何も苦しい事は有りません。この通り・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・それにしても死ぬまで東京にいるとは! おそらく死に際の幻覚には目にたてて見る塵もない自分の家の前庭や、したたり集って来る苔の水が水晶のように美しい筧の水溜りが彼を悲しませたであろう。 これがこの小さな字である。 断片 二・・・ 梶井基次郎 「温泉」
・・・『彼奴は遠からず死ぬわい』など人の身の上に不吉きわまる予言を試みて平気でいる、それがまた奇妙にあたる。むずかしく言えば一種霊活な批評眼を備えていた人、ありていに言えば天稟の直覚力が鋭利である上に、郷党が不思議がればいよいよ自分もよけいに・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・自分のうけているこの一個のいのちがこの宇宙とひとつに帰して、もはや生きるもよし、死ぬるもよしという心境に落ち着くところにあるのだ。それは人間にとって、女にとっても男にとっても第一義の問題である。宗教がなくてもいいということが理不尽なのは、こ・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・ 俺が一人死ぬことは、誰れも屁とも思っていないのだ。ただ、自分のことを心配してくれるのは、村で薪出しをしているお母だけだ。 彼は、お母がこしらえてくれた守り袋を肌につけていた。新しい白木綿で縫った、かなり大きい袋だった。それが、垢や汗に・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
出典:青空文庫