・・・ここではお芝居およしなさいね」 てんから疑って呉れなかった。 男は、キネマ俳優であった。岡田時彦さんである。先年なくなったが、じみな人であった。あんな、せつなかったこと、ございませんでした、としんみり述懐して、行儀よく紅茶を一口すす・・・ 太宰治 「あさましきもの」
・・・そこで芝居へ稽古に行く。買物に出る。デルビイの店へも、人に怪まれない位に、ちょいちょい顔を出して、ポルジイの留守を物足らなく思うと云う話をも聞く。ついでに賭にも勝って、金を儲ける。何につけても運の好い女である。 舞台が済んで帰る時には、・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
四十年ほど昔の話である。郷里の田舎に亀さんという十歳ぐらいの男の子があった。それが生まれてはじめて芝居というものを見せられたあとで、だれかからその演劇の第一印象をきかれた時に亀さんはこう答えた。「妙なばんばが出て来て、妙な・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
・・・遊芸をみっちり仕込んだ嫖致の好い姉娘は、芝居茶屋に奉公しているうちに、金さんと云う越後産の魚屋と一緒になって、小楽に暮しているが、爺さんの方へは今は余り寄りつかないようにしている。「私も花をあんなものにくれておくのは惜しいでやすよ。多度・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・実例は帝国劇場の建築だけが純西洋風に出来上りながら、いつの間にかその大理石の柱のかげには旧芝居の名残りなる簪屋だの飲食店などが発生繁殖して、遂に厳粛なる劇場の体面を保たせないようにしてしまった。銀座の商店の改良と銀座の街の敷石とは、将来如何・・・ 永井荷風 「銀座」
昨日は失敬。こう続けざまに芝居を見るのは私の生涯において未曾有の珍象ですが、私が、私に固有な因循極まる在来の軌道をぐれ出して、ちょっとでも陽気な御交際をするのは全くあなたのせいですよ。それにも飽き足らず、この上相撲へ連れて・・・ 夏目漱石 「虚子君へ」
・・・次第に彼は放蕩に身を持ちくずし、とうとう壮士芝居の一座に這入った。田舎廻りの舞台の上で、彼は玄武門の勇士を演じ、自分で原田重吉に扮装した。見物の人々は、彼の下手カスの芸を見ないで、実物の原田重吉が、実物の自分に扮して芝居をし、日清戦争の幕に・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・然るに本文の意を案ずるに、歌舞伎云々以下は、家の貧富などに論なく、唯婦人たる者は芝居見物相成らず、鳴物を聴くこと相成らず、年四十になるまでは宮寺の参詣も差控えよとて、厳しく婦人に禁じながら、暗に男子の方へは自由を与えたるものゝ如し。左れば人・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ 何とかいう芝居小屋の前に来たら役者に贈った幟が沢山立って居た。この幟の色について兼ねて疑があったから注意して見ると、地の色は白、藍、渋色などの類、であった。 陶器店の屋根の上に棚を造って大きな陶器をあげてある。その最も端に便器が落・・・ 正岡子規 「車上の春光」
・・・僕がこいつをはいてすっすっと歩いたらまるで芝居のようだろう。まるでカーイのようだろう、イーのようだろう。」「うん、実にいいね。僕たちもほしいよ。けれど仕方ないなあ。」「仕方ないよ。」 雪の峯は銀色で、今が一番高い所です。けれども・・・ 宮沢賢治 「蛙のゴム靴」
出典:青空文庫