・・・地平線に近く夕立雲が渦を巻き返して、驟雨の前に鈍った静かさに、海面は煮つめた様にどろりとなって居る。ドゥニパー河の淡水をしたたか交えたケルソンでも海は海だ。風はなくとも夕されば何処からともなく潮の香が来て、湿っぽく人を包む。蚊柱の声の様に聞・・・ 有島武郎 「かんかん虫」
・・・ 忽ち大驟雨となったので、蒼くなって駈出して帰ったが、家までは七、八町、その、びしょ濡れさ加減思うべしで。 あと二夜ばかりは、空模様を見て親たちが出さなかった。 さて晴れれば晴れるものかな。磨出した良い月夜に、駒の手綱を切放され・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・……可愛いにつけて、断じて籠には置くまい。秋雨のしょぼしょぼと降るさみしい日、無事なようにと願い申して、岩殿寺の観音の山へ放した時は、煩っていた家内と二人、悄然として、ツィーツィーと梢を低く坂下りに樹を伝って慕い寄る声を聞いて、ほろりとして・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・外は秋雨しとしとと降って、この悲しげな雨の寂しさに堪えないで歩いてる人もあろう、こもってる人もあろう。一家和楽の庭には秋のあわれなどいうことは問題にならない。兄の生まじめな話が一くさり済むと、満蔵が腑抜けな話をして一笑い笑わせる。話はまたお・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・そう周囲が真暗なため、店頭に点けられた幾つもの電燈が驟雨のように浴びせかける絢爛は、周囲の何者にも奪われることなく、ほしいままにも美しい眺めが照らし出されているのだ。裸の電燈が細長い螺旋棒をきりきり眼の中へ刺し込んでくる往来に立って、また近・・・ 梶井基次郎 「檸檬」
・・・もの端緒一向だね一ツ献じようとさされたる猪口をイエどうも私はと一言を三言に分けて迷惑ゆえの辞退を、酒席の憲法恥をかかすべからずと強いられてやっと受ける手頭のわけもなく顫え半ば吸物椀の上へ篠を束ねて降る驟雨酌する女がオヤ失礼と軽く出るに俊雄は・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・婆やが来てそこへ寝床を敷いてくれる頃には、深い秋雨の戸の外を通り過ぎる音がした。その晩はおげんは娘と婆やと三人枕を並べて、夜遅くまで寝床の中でも話した。 翌日は小山の養子の兄が家の方からこの医院に着いた。いよいよみんなに暇乞いして停車場・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・ま白き驟雨。 尚、この四枚の拙稿、朝日新聞記者、杉山平助氏へ、正当の御配慮、おねがい申します。 右の感想、投函して、三日目に再び山へ舞いもどって来たのである。三日、のたうち廻り、今朝快晴、苦痛全く去って、日の光まぶしく、野天風呂・・・ 太宰治 「創生記」
・・・踊りつつ月の坂道ややふけて はたと断えたる露の玉の緒とでもいったような場面などがいろいろあって、そうして終わりには葬礼のほこりにむせて萩尾花 母なる土に帰る秋雨 これらの映画を見たあと・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ 最後の場面で、花売りの手車と自動車とが先刻衝突したままの位置で人けのない町のまん中に、降りしきる驟雨にぬれている。あの光景には実に言葉で言えない多くの内容がある。これもその前の弥次のけんかと見物の群集とがなかったら、おそらくなんの意味・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
出典:青空文庫