・・・小説家久保田万太郎君の俳人傘雨宗匠たるは天下の周知する所なり。僕、曩日久保田君に「うすうすと曇りそめけり星月夜」の句を示す。傘雨宗匠善と称す。数日の後、僕前句を改めて「冷えびえと曇り立ちけり星月夜」と為す。傘雨宗匠頭を振って曰、「いけません・・・ 芥川竜之介 「久保田万太郎氏」
・・・この景色を見た自分たちは、さすがに皆一種の羞恥を感じて、しばらくの間はひっそりと、賑な笑い声を絶ってしまった。が、その中で丹波先生だけは、ただ、口を噤むべく余りに恐縮と狼狽とを重ねたからでもあったろう。「あの帽子が古物だぜ」と、云いかけた舌・・・ 芥川竜之介 「毛利先生」
・・・胸から下の肢体は感触を失ったかと思うほどこわばって、その存在を思う事にすら、消え入るばかりの羞恥を覚えた。毛の根は汗ばんだ。その美しい暗緑の瞳は、涙よりももっと輝く分泌物の中に浮き漂った。軽く開いた唇は熱い息気のためにかさかさに乾いた。油汗・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・僕は裁判をしてこっちが羞恥を感じて赤面したが、女はシャアシャアしたもんで、平気でベラベラ白状した。職業的堕落婦人よりは一層厚顔だ。口の先では済まない事をした、申訳がありませんといったが、腹の底では何を思ってるか知れたもんじゃない。良心がまる・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・年とって、感情が涸渇し、たゞ利害のみに敏く、羞恥をすら感ぜぬようになって、醜悪の姿をいつまでも晒らすものでない。こう真に、考えたことも、やはり、当時であったのでした。 たとえ、其の人の事業は、年をとってから完成するものだとはいうものゝ、・・・ 小川未明 「机前に空しく過ぐ」
・・・同時に大阪の言葉がどぎつく、ねちこく、柄が悪く、下品だということも、周知の事実である。 たしかに京都の言葉は美しい。京都は冬は底冷えし、夏は堪えられぬくらい暑くおまけに人間が薄情で、けちで、歯がゆいくらい引っ込み思案で、陰険で、頑固で結・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
・・・この不安の内には恐怖も羞恥も籠っていた。 眼前にまざまざと今日の事が浮んで来る、見下した旦那の顔が判然出て来る、そしてテレ隠しに炭を手玉に取った時のことを思うと顔から火が出るように感じた。「真実にどうしたんだろう」とお源は思わず叫ん・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
・・・と言う主人の少女の顔は羞恥そうな笑のうちにも何となく不穏のところが見透かされた。「私の口から言い悪くいけれど……貴姉大概解かっていましょう……」「私が妾になるとか成ったとかいう事なんでしょう。」 と言った主人の少女の声は震えて居・・・ 国木田独歩 「二少女」
・・・かれは飲み干して自分の顔を見たが、野卑な喜びの色がその満面に動いたと思うとたちまち羞恥の影がさっと射して、視線を転じてまた自分を見て、また転じた。自分はもうその様子を視ていられなくなった。『大ぶんお歳がゆきましたね、』思わず同情の言葉が・・・ 国木田独歩 「まぼろし」
・・・ドイツ無産政党の組織者であったラサールには倫理学的エッセイ多く、エンゲルスや、シュモルラーには社会主義的倫理思想の論述の少なくないことは周知の如くである。そればかりでなくミルや、シヂウィックや、英国経験学派の系統を引く功利主義の倫理学はほと・・・ 倉田百三 「学生と教養」
出典:青空文庫