・・・「政府の議会に提出せる著作権法改正案に対し文芸家協会案を提げ修正を迫る。これに関連し『東京朝日新聞』誌上に『我等の主張の根本要旨』を執筆す。我々の意見殆ど全部容認され、右議案二月末貴族院を通過す。衆議院を通過することも亦決定的なり。四六・・・ 宮本百合子 「山本有三氏の境地」
・・・ 平塚雷鳥を主唱者とした「青鞜社」の運動は、日本にイブセンとかエレン・ケイとか、婦人の解放を観念の面から取扱った思想が文芸運動として輸入された一九〇八年頃結成された。『青鞜』は文化運動としての女性の天才の発揮、限りない知的能力の発露とい・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・そちが志は殊勝で、殿様のお許しが出たのは、この上もない誉れじゃ。もうそれでよい。どうぞ死ぬることだけは思い止まって、御当主にご奉公してくれい」と言った。 五助はどうしても聴かずに、五月七日にいつも牽いてお供をした犬を連れて、追廻田畑の高・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・三斎公その時死罪を顧みずして帰参候は殊勝なりと仰せられ候て、助命遊ばされ候。伝兵衛はこの恩義を思候て、切腹いたし候。介錯は磯田十郎に候。久野は丹後の国において幽斎公に召し出され、田辺御籠城の時功ありて、新知百五十石賜わり候者に候。矢野又三郎・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・「承われば殊勝なお心がけと存じます。貸すなという掟のある宿を借りて、ひょっと宿主に難儀をかけようかと、それが気がかりでございますが、わたくしはともかくも、子供らに温いお粥でも食べさせて、屋根の下に休ませることが出来ましたら、そのご恩はのちの・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
・・・お爺いさんのする事は至って殊勝なようであるが、女中達は一向敬服していなかった。そればかりではない。女中達はお爺いさんを、蔭で助兵衛爺さんと呼んでいた。これはお爺いさんが為めにする所あって布団をまくるのだと思って附けた渾名である。そしてそれが・・・ 森鴎外 「心中」
・・・唯彼猿はそのむかしを忘れずして、猶亜米利加の山に栖める妻の許へふみおくりしなどいと殊勝に見ゆる節もありしが、この男はおなじ郷の人をも夷の如くいいなして嘲るぞかたはら痛き。少女の挽物細工など籠に入れて売りに来るあり。このお辰まだ十二三なれば、・・・ 森鴎外 「みちの記」
・・・今でも私はその時の殊勝な態度を顧みて、満足に思っている。 義士等が吉良の首を取るまでには、長い長い時間が掛かった。この時間は私がまだ大学にいた時最も恐怖すべき高等数学の講義を聴いた時間よりも長かった。それを耐忍したのだから、私は自ら満足・・・ 森鴎外 「余興」
・・・また西園寺首相の招待を断わって新聞をにぎわせた。そういうことから私たちは漱石が権門富貴に近づくことをいさぎよしとしない人であるように思い込んでいた。またそれが私たちにとって漱石の魅力の一つであった。しかし漱石は、いつだったかそういうことが話・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
出典:青空文庫