・・・ 意気な小家に流連の朝の手水にも、砂利を含んで、じりりとする。 羽目も天井も乾いて燥いで、煤の引火奴に礫が飛ぶと、そのままチリチリと火の粉になって燃出しそうな物騒さ。下町、山の手、昼夜の火沙汰で、時の鐘ほどジャンジャンと打つける、そ・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・かつ溝川にも、井戸端にも、傾いた軒、崩れた壁の小家にさえ、大抵皆、菖蒲、杜若を植えていた。 弁財天の御心が、自ら土地にあらわれるのであろう。 忽ち、風暗く、柳が靡いた。 停車場へ入った時は、皆待合室にいすくまったほどである。風は・・・ 泉鏡花 「七宝の柱」
・・・ 授業に掛って、読出した処が、怪訝い。消火器の説明がしてある、火事に対する種々の設備のな。しかしもうそれさえ気にならずに業をはじめて、ものの十分も経ったと思うと、入口の扉を開けて、ふらりと、あの児が入って来たんだ。」「へい、嬢ちゃん・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・ 婆さんはこの時、滝登の懸物、柱かけの生花、月並の発句を書きつけた額などを静にみまわしたから、判事も釣込まれてなぜとはなくあたりを眺めた。 向直って顔を見合せ、「この家は旦那様、停車場前に旅籠屋をいたしております、甥のものでも私・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・「何、綿が消化れるもんか。」 ミリヤアド傍より、「喧嘩してはいけません。また動悸を高くします。」「ほんとに串戯は止して新さん、きづかうほどのことはないのでしょうね。」「いいえ、わけやないんだそうだけれど、転地しなけりゃ不・・・ 泉鏡花 「誓之巻」
・・・ 径を挟んで、水に臨んだ一方は、人の小家の背戸畠で、大根も葱も植えた。竹のまばら垣に藤豆の花の紫がほかほかと咲いて、そこらをスラスラと飛交わす紅蜻蛉の羽から、……いや、その羽に乗って、糸遊、陽炎という光ある幻影が、春の闌なるごとく、浮い・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・…… ところが若夫人、嫁御というのが、福島の商家の娘さんで学校をでた方だが、当世に似合わないおとなしい優しい、ちと内輪すぎますぐらい。もっともこれでなくっては代官婆と二人住居はできません。……大蒜ばなれのした方で、鋤にも、鍬にも、連尺に・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・ 呑まれた小宮山は、怪しい女の胃袋の中で消化れたように、蹲ってそれへ。 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と、風が引いたり寄せたりして聞えまする、百万遍。 忌々しいなあ、道中じゃ弥次郎兵衛もこれに弱ったっけ、・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
成東の停車場をおりて、町形をした家並みを出ると、なつかしい故郷の村が目の前に見える。十町ばかり一目に見渡す青田のたんぼの中を、まっすぐに通った県道、その取付きの一構え、わが生家の森の木間から変わりなき家倉の屋根が見えて心も・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・ 一つの乳牛に消化不良なのがあって、今井獣医の来たのは井戸ばたに夕日の影の薄いころであった。自分は今井とともに牛を見て、牧夫に投薬の方法など示した後、今井獣医が何か見せたい物があるからといわるるままに、今井の宅にうち連れてゆくことに・・・ 伊藤左千夫 「奈々子」
出典:青空文庫