・・・ミリヤアドは笑止がり、「それでも、私は血を咯きました、上杉さんの飲ませたもの、白い水です。」「いいえ、いいえ、血じゃありませんよ。あなた血を咯いたんだと思って心配していらっしゃいますけれど血だもんですか。神経ですよ。あれはね、あなた・・・ 泉鏡花 「誓之巻」
・・・三方岡を囲らし、厚硝子の大鏡をほうり出したような三角形の小湖水を中にして、寺あり学校あり、農家も多く旅舎もある。夕照りうららかな四囲の若葉をその水面に写し、湖心寂然として人世以外に別天地の意味を湛えている。 この小湖には俗な名がついてい・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・ 作から見れば夏目さんはさぞかし西洋趣味の人だったろうと想像する人もあるようだが、私の観たところでは全く支那趣味の人だった。夏目さんの座右の物は殆んど凡て支那趣味であった。 硝子のインキスタンドが大嫌いで、先生はわざわざ自身で考案し・・・ 内田魯庵 「温情の裕かな夏目さん」
・・・緑雨は笑止しがって私に話したが、とうとう『おぼえ帳』の一節となった。 上田博士が帰朝してから大学は俄に純文学を振って『帝国文学』を発刊したり近松研究会を創めたりした。緑雨は竹馬の友の万年博士を初め若い文学士や学生などと頻りに交際していた・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・ 自分の事を言うのは笑止しいが、私は児供の時から余りアンビションというものがなかった。この点からいうとよほど馬鹿だった。それ故大学を卒業して学士になろうなどという考は微塵もなく、学士というものがどれほどエライものであるか何かそんな事は一・・・ 内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
・・・この辺の家の窓は、五味で茶色に染まっていて、その奥には人影が見えぬのに、女の心では、どこの硝子の背後にも、物珍らしげに、好い気味だというような顔をして、覗いている人があるように感ぜられた。ふと気が付いて見れば、中庭の奥が、古木の立っている園・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・眼を開くと、窓際に突き出た青い楓の枝が繁っている。硝子窓を透して、青い影が湯に映っている。五六月頃の春の初めには、此の山中にも、うす緑色の色彩は柔かに艶かにあるものをと夢幻的の感じに惹き入られた。 昼過ぎになると、日は山を外れて温泉場の・・・ 小川未明 「渋温泉の秋」
・・・間から生国魂神社の北門が見えたり、入口に地蔵を祠っている路地があったり、金灯籠を売る店があったり、稲荷を祠る時の巻物をくわえた石の狐を売る店があったり、簔虫の巣でつくった銭入れを売る店があったり、赤い硝子の軒灯に家号を入れた料理仕出屋があっ・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・闇市で証紙を売っていたということだが、まさかこんな風に出て来た紙幣に貼るわけでもないだろう」 そう言うと、彼は急に眼を輝した。「へえ……? 証紙を売ってるって? 闇市で、そうか。たしかに売ってるのか。どこの闇市?」「いやに熱心だ・・・ 織田作之助 「鬼」
・・・日記や随筆と変らぬ新人の作品が、その素直さを買われて小説として文壇に通用し、豊田正子、野沢富美子、直井潔、「新日本文学者」が推薦する「町工場」の作者などが出現すると、その素人の素直さにノスタルジアを感じて、狼狽してこれを賞讃しなければならぬ・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
出典:青空文庫