・・・、貴族階級の中世思想に反抗して興った新しい町人階級の人間讃歌であった如く、封建思想が道学者的偏見を有力な味方として人間にかぶせていた偽善のヴェールをひきさく反抗のメスの文学であろうか、それとも、与謝野晶子、斎藤茂吉の初期の短歌の如く新感覚派・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・が、調べてみると、三枚とも証紙の貼ってない旧円だった。葉子はわっと泣き出した。 次の夜また出掛けた。男がからかいに来ると、葉子は、「いやです、いやです、旧円はいやです」 織田作之助 「報酬」
・・・そして硝子窓をあけて、むっとするようにこもった宵の空気を涼しい夜気と換えた。彼はじっと坐ったまま崖の方を見ていた。崖の路は暗くてただ一つ電柱についている燈がそのありかを示しているに過ぎなかった。そこを眺めながら、彼は今夜カフェで話し合った青・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・それで例の想像にもです、冬になると雪が全然家を埋めて了う、そして夜は窓硝子から赤い火影がチラチラと洩れる、折り折り風がゴーッと吹いて来て林の梢から雪がばたばたと墜ちる、牛部屋でホルスタイン種の牝牛がモーッと唸る!」「君は詩人だ!」と叫け・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・ 風に吹きつけられた雪が、窓硝子を押し破りそうに積りかかっていた。谷間の泉から湧き出る水は、その周囲に凍てついて、氷の岩が出来ていた。それが、丁度、地下から突き出て来るように、一昨日よりは昨日、昨日よりは今日の方がより高くもれ上って来た・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・この傾向をもっとはっきり表現しているのは、与謝野晶子の新体詩である。それは、明治三十七年、十月頃の「明星」に出た。題は、「君死にたまふことなかれ」という。弟が旅順口包囲軍に加わって戦争に出たのを歎いて歌ったものである。同氏のほかの短歌や詩は・・・ 黒島伝治 「反戦文学論」
・・・なお、戦争に関する詩歌についても、与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」、石川啄木の「マカロフ提督追悼の詩」を始め戦争に際しては多くが簇出しているし、また日露戦争中、二葉亭がガルシンの「四日間」を訳出している。「四日間」の戦争の悲惨を憎悪し・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・ 俺はその時、フト硝子戸越しに、汚い空地の隅ッこにほこりをかぶっている、広い葉を持った名の知れない草を見ていた。四方の建物が高いので、サン/\とふり注いでいる真昼の光が、それにはとゞいていない。それは別に奇妙な草でも何んでもなかったが―・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・廊下づたいに看護婦の部屋の側を通って、黄昏時の庭の見える硝子の近くへ行って立った。あちこちと廊下を歩き廻っている白い犬がおげんの眼に映った。狆というやつで、体躯つきの矮小な割に耳の辺から冠さったような長い房々とした毛が薄暗い廊下では際立って・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・学士は弓を入れた袋や、弓掛、松脂の類を入れた鞄を提げた。古い城址の周囲だけに、二人が添うて行く石垣の上の桑畠も往昔は厳しい屋敷のあったという跡だ。鉄道のために種々に変えられた、砂や石の盛り上った地勢が二人の眼にあった。 馬に乗った医者が・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
出典:青空文庫