・・・ 肺病のある上へ、驚いたがきっかけとなって心臓を痛めたと、医者が匙を投げてから内証は証文を巻いた、但し身附の衣類諸道具は編笠一蓋と名づけてこれをぶったくり。 手当も出来ないで、ただ川のへりの長屋に、それでも日の目が拝めると、北枕に水・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・ 折から咳入る声聞ゆ。高津は目くばせして奥にゆきぬ。 ややありて、「じゃ、お逢い遊ばせ、上杉さんですよ、可うござんすか。」 という声しき。「新さん。」 と聞えたれば馳せゆきぬ。と見れば次の室は片付きて、畳に塵なく、床・・・ 泉鏡花 「誓之巻」
・・・「砲声聞ゆ」という電報が朝の新聞に見え、いよいよ海戦が初まったとか、あるいはこれから初まるとかいう風説が世間を騒がした日の正午少し過ぎ、飄然やって来て、玄関から大きな声で、「とうとうやったよ!」と叫った。「やったか?」と私も奥か・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・と、貯金が三百円を少し超えた。蝶子は芸者時代のことを思い出し、あれはもう全部払うてくれたんかと種吉に訊くと、「さいな、もう安心しーや、この通りや」と証文出して来て見せた。母親のお辰はセルロイド人形の内職をし、弟の信一は夕刊売りをしていたこと・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・磐城の相馬のは流山ぶしの歌にひびき渡りて、その地に至りしことなき人もよく知ったることなるが、しかも彼処といい此処といい、そのまつる所のものの共に妙見尊なるいとおかしく、相馬も将門にゆかりあり、秩父も将門にゆかりある地なるなど、いよいよ奇し。・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・この時代の人は大概現世祈祷を事とする堕落僧の言を無批判に頂戴し、将門が乱を起しても護摩を焚いて祈り伏せるつもりでいた位であるし、感情の絃は蜘蛛の糸ほどに細くなっていたので、あらゆる妄信にへばりついて、そして虚礼と文飾と淫乱とに辛くも活きてい・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・殊に神崎氏の馬子など、念入りに詫び証文まで取ってみたが、いっこうに浮かぬ気持で、それから四、五日いよいよ荒んでやけ酒をくらったであろうと思われる。そのように私は元来、あの美談の偉人の心懐には少しも感服せず、かえって無頼漢どもに対して大いなる・・・ 太宰治 「親友交歓」
・・・留』には懐炉灰の製法、鯛の焼物の速成法、雷除けの方法など、『胸算用』には日蝕で暦を験すこと、油の凍結を防ぐ法など、『桜陰比事』には地下水脈験出法、血液検査に関する記事、脈搏で罪人を検出する法、烏賊墨の証文、橙汁のあぶり出しなどがある。 ・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・万葉の短歌や蕉門の俳句におけるがごとく人と自然との渾然として融合したものを見いだすことは私にははなはだ困難なように思われるのである。 短歌俳諧に現われる自然の風物とそれに付随する日本人の感覚との最も手近な目録索引としては俳諧歳時記がある・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・来の詩に現われた民族的国民的に固有な人世観世界観の変遷を追跡して行くと、無垢な原始的な祖先日本人の思想が外来の宗教や哲学の影響を受けて漸々に変わって行く様子がうかがわれるのであるが、この方面から見ても蕉門俳諧の完成期における作品の中には神儒・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
出典:青空文庫