・・・で思い出すのはベルリンに住んではじめての聖霊降臨祭の日に近所の家々の入口の軒に白樺の折枝を挿すのを見て、不思議なことだと思って二、三の人に聞いてみたが、どうした由来によるものか分らなかった。ただ何となく軒端に菖蒲を葺いた郷国の古俗を想い浮べ・・・ 寺田寅彦 「五月の唯物観」
・・・どういうわけか、その瞬間に、これは何か新しい清涼飲料の広告であろうという気がした。しかしその次の瞬間に電車は進んで、私は丸の内「時事新報」社の前を通っている私を発見したのであった。 宅に近い盛り場にあるある店の看板は、人がよく「ボンラク・・・ 寺田寅彦 「錯覚数題」
・・・もっともI君の家は医家であったので、炎天の長途を歩いて来たわれわれ子供たちのために暑気払いの清涼剤を振舞ってくれたのである。後で考えるとあの飲料の匂の主調をなすものが、やはりこの杏仁水であったらしい。 明治二十年代の片田舎での出来事とし・・・ 寺田寅彦 「さまよえるユダヤ人の手記より」
・・・財産の多寡で個人の価値を秤量するのが一つ。皮膚の色で人種の等級をきめようとするのが一つ。試験の成績やメンタルテストで人材登用のスケールをきめようとするのが一つ。経済関係の見地だけから社会制度を決定しようとするのもその一つであろう。 これ・・・ 寺田寅彦 「猿の顔」
・・・なんだか独立な自分というものは微塵に崩壊してしまって、ただ無数の過去の精霊が五体の細胞と血球の中にうごめいているという事になりそうであった。 この第三号の自画像はまずどうにか、こうにか仕上げてしまった。ほんとうの意味ではいつまでかかって・・・ 寺田寅彦 「自画像」
・・・ この幼い子供達のうちには我家が潰れ、また焼かれ、親兄弟に死傷のあったようなのも居るであろうが、そういう子等がずっと大きくなって後に当時を想い出すとき、この閑寂で清涼な神社の境内のテントの下で蓄音機の童謡に聴惚れたあの若干時間の印象が相・・・ 寺田寅彦 「静岡地震被害見学記」
・・・すると家々ではかねて玄関かその次の間に用意してある糯米やうるちやあずきや切り餅を少量ずつめいめいの持っている袋に入れてやる。みんなありがとうともなんとも言わずにそれをもらって次の家へと回って行くのである。 平生は行ったこともない敷居の高・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・そうかと思うと一方で立体派や未来派のような舶来の不合理をそのままに鵜呑みにして有難がって模倣しているような不見識な人の多い中に、このような自分の腹から自然に出た些細な不合理はむしろ一服の清涼剤として珍重すべきもののような感がある。 鳥の・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
・・・それは別問題としたところで、私の眼前のガラスの水滴の合流をいかに統計的に取り扱ったらよいかと思って諸文献を渉猟してみても結局得るところははなはだ少ないのである。それは私が結局何物もないところに何物かを求めているためであろうか。それがそうでは・・・ 寺田寅彦 「日常身辺の物理的諸問題」
・・・一電子の有する電気以下の少量の電気はどこにも得る事が出来ぬ。あらゆる電気はこの微粒の整数倍であるという事になった。それで電気を盗むのはこの電子の莫大な粒数を盗むのである。そこでその電子は物質かエネルギーか。 電子は質量を有するように見え・・・ 寺田寅彦 「物質とエネルギー」
出典:青空文庫