・・・の母さんが与惣次さんところへ招ばれて行った帰路のところへちょうどおまえが衝突ったので、すぐに見つけられて止められたのだが、後で母様のお話にあ、いくら下りだって甲府までは十里近くもある路を、夜にかかって食物の準備も無いのに、足ごしらえも無しで・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・また植物にしても左様である、庭の雑草などの名や効能なんぞを教えて下すった事が幾度もある。私の注意力はたしかに其為に養われて居るかと思います。 小学校を了えて後は一年ばかり中学校を修めたが、それも廃めて英学を修める傍、菊地松軒という先生に・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・尚不思議奇々妙々なのは、植物の芋の蔓でもムカゴの蔓でも皆螺旋すると同じく、礦物の蔓もその実は螺旋的になッてるのだが、但し噴火山作用でメチャメチャになッて分らないのサ。火かえんも螺線になッて燃えるのだが凡眼では見えないのサ。風は年中螺旋に吹て・・・ 幸田露伴 「ねじくり博士」
・・・こう学士が立話をすると、土地から出て植物学を専攻した日下部は亡くなった生徒の幼少い時のことなどを知っていて、十歳の頃から病身な母親の世話をして、朝は自分で飯を炊き母の髪まで結って置いて、それから小学校へ行った……病中も、母親の見えるところに・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・ふと、その汽車の時間表と、ビイルや酒の広告と、食物をつくる煙などのゴチャゴチャした中に、高瀬は学士の笑顔を見つけた。 学士は「ウン、高瀬君か」という顔付で、店頭の土間に居る稼ぎ人らしい内儀さんの側へ行った。「お内儀さん、今日は何か有・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・ただそれが年の寄ったのと、食物に饑えたのとで、うつろに萎びている。その手を体の両側に、下へ向けてずっと伸ばしていよいよ下に落ち付いた処で、二つの円い、頭えている拳に固めた。そして小さく刻んだ、しっかりした足取で町を下ってライン河の方へ進んだ・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・食料品は鉄道なぞによっても、どんどん各地方からはこばれて来たので、市民のための食物はありあまるほどになりました。 赤さびの鉄片や、まっ黒こげの灰土のみのぼうぼうとつづいた、がらんどうの焼けあとでは、四日五日のころまで、まだ火気のある路ば・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・渡された食物を食わぬと思われたり、又無理に食わせられたりすまいと思って、人の見る前では呑み込んで、直ぐそれを吐き出したこともあったらしい。丁度相手の女学生が、頸の創から血を出して萎びて死んだように絶食して、次第に体を萎びさせて死んだのである・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・一茎の植物に似ていた。春は花咲き、秋は紅葉する自然の現象と全く似ていた。自然には、かなわない。ときどきかれは、そう呟いて、醜く苦笑した。けれども、全部に負けた、きれいに負けたと素直に自覚して、不思議にフレッシュな気配を身辺に感じることも、た・・・ 太宰治 「花燭」
・・・故意に飛び込んだのではなくて、まったくの過失からであった。植物の採集をしにこの滝へ来た色の白い都の学生である。このあたりには珍らしい羊歯類が多くて、そんな採集家がしばしば訪れるのだ。 滝壺は三方が高い絶壁で、西側の一面だけが狭くひらいて・・・ 太宰治 「魚服記」
出典:青空文庫