・・・官員ハ則黒帽銀、書生ハ則短衣高屐、兵隊ハ則洋服濶歩シ、文人ハ則瓢酒ニシテ逍遥ス。茶肆ノ婢女冶装妖飾、媚ヲ衒ヒ客ヲ呼ブ。而シテ樹下ニ露牀ヲ設ケ花間ニ氈席ヲ展ベ、酒ヲ煖メ盃ヲ侑ム。遊人嘔唖歌吹シ遅遅タル春日興ヲ追ヒ歓ヲ尽シテ、惟夕照ノ西ニ没シ鐘・・・ 永井荷風 「上野」
・・・其の時分の書生のさまなぞ、今から考えると、幕府の当時と同様、可笑しい程主従の差別のついて居た事が、一挙一動思出される。 何事にも極く砕けて、優しい母上は田崎の様子を見て、「あぶないよ、お前。喰いつかれでもするといけないから、お止しな・・・ 永井荷風 「狐」
・・・雷同し謳歌して行くより外には安全なる処世の道はないように考えられている。この場合わが身一つの外に、三界の首枷というもののないことは、誠にこの上もない幸福だと思わなければならない。 ○ わたくしの身にとって妻帯の・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・昔私らの書生の頃には、人を訪問していなければ可いがと思うてもそういう事をその人の前に告白するような正直な実際的な事はしなかったものである。痩我慢をして実は堂々たるものの如く装って人の前にもこれを吹聴したのである。感激的教育概念に囚れたる薫化・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・門は開いているが玄関はまだ戸閉りがしてある。書生はまだ起きんのかしらと勝手口へ廻る。清と云う下総生れの頬ペタの赤い下女が俎の上で糠味噌から出し立ての細根大根を切っている。「御早よう、何はどうだ」と聞くと驚いた顔をして、襷を半分はずしながら「・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・幼稚な智識をもった者、没分暁漢あるいは門外漢になると知らぬ事を知らないですましているのが至当であり、また本人もそのつもりで平気でいるのでしょうが、どうも処世上の便宜からそう無頓着でいにくくなる場合があるのと、一つは物数奇にせよ問題の要点だけ・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
・・・年来自分が考えたまた自分が多少実行し来りたる処世の方針はどこへ行った。前後を切断せよ、妄りに過去に執着するなかれ、いたずらに将来に望を属するなかれ、満身の力をこめて現在に働けというのが乃公の主義なのである。しかるに国へ帰れば楽ができるからそ・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・と、今一人の名山という花魁が言いかけて、顔を洗ッている自分の客の書生風の男の肩を押え、「お前さんも去らないで、夕方までおいでなさいよ」「僕か。僕はいかん。なア君」「そうじゃ。いずれまた今晩でも出直して来るんじゃ」「よござんすよ、・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・あるいは白面の書生もあらん、あるいは血気の少年もあらん。その成行決して安心すべからず。万々一もこの二流抱合の萌を現わすことあらば、文明の却歩は識者をまたずして知るべし。これすなわち禍の大なるものなり。国の文明を進めんとしてかえってこれを妨ぐ・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・就中親族編の如きは、古来日本に行われたる家族道徳の主義を根底より破壊して更らに新主義を注入し、然かも之を居家処世の実際に適用す可しと言う非常の大変化にして、所謂世道人心の革命とも見る可きものなるに、其民法の草案は発布前より早く流布して広く世・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
出典:青空文庫