・・・ 大正年間の大噴火に押し出した泥流を被らなかったと思われる部分の山腹は一面にレモン黄色と温かい黒土色との複雑なニュアンスをもって彩られた草原に白く曝された枯木の幹が疎らに点在している。そうして所々に露出した山骨は青みがかった真珠のような・・・ 寺田寅彦 「雨の上高地」
・・・その眼路のはるかつきるまで、咽喉のひりつくような白くかわいた道がつづいていた。 徳永直 「白い道」
・・・丁度四歳の初冬の或る夕方、私は松や蘇鉄や芭蕉なぞに其の年の霜よけを為し終えた植木屋の安が、一面に白く乾いた茸の黴び着いている井戸側を取破しているのを見た。これも恐ろしい数ある記念の一つである。蟻、やすで、むかで、げじげじ、みみず、小蛇、地蟲・・・ 永井荷風 「狐」
・・・河を隔てて木の間隠れに白くひく筋の、一縷の糸となって烟に入るは、立ち上る朝日影に蹄の塵を揚げて、けさアーサーが円卓の騎士と共に北の方へと飛ばせたる本道である。「うれしきものに罪を思えば、罪長かれと祈る憂き身ぞ。君一人館に残る今日を忍びて・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・彼の通る足下では木曾川の水が白く泡を噛んで、吠えていた。「チェッ! やり切れねえなあ、嬶は又腹を膨らかしやがったし、……」彼はウヨウヨしている子供のことや、又此寒さを目がけて産れる子供のことや、滅茶苦茶に産む嬶の事を考えると、全くがっか・・・ 葉山嘉樹 「セメント樽の中の手紙」
・・・築山の上り口の鳥居の上にも、山の上の小さな弁天の社の屋根にも、霜が白く見える。風はそよとも吹かぬが、しみるような寒気が足の爪先から全身を凍らするようで、覚えず胴戦いが出るほどだ。 中庭を隔てた対向の三ツ目の室には、まだ次の間で酒を飲んで・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・三日ほど奈良に滞留の間は幸に病気も強くならんので余は面白く見る事が出来た。この時は柿が盛になっておる時で、奈良にも奈良近辺の村にも柿の林が見えて何ともいえない趣であった。柿などというものは従来詩人にも歌よみにも見離されておるもので、殊に奈良・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・だいいち輪廓のぼんやり白く光ってぶるぶるぶるぶるふるえていることでもわかります。 にわかにぱっと暗くなり、そこらの苔はぐらぐらゆれ、蟻の歩哨は夢中で頭をかかえました。眼をひらいてまた見ますと、あのまっ白な建物は、柱が折れてすっかり引っく・・・ 宮沢賢治 「ありときのこ」
・・・その人々は、この一望果てない青田を見て、そこに白く光った白米の粒々を想像し、価のつり上りを想像し、満足を感じていたかもしれない。けれども、私は、行けども行けどもつきない稲田の間を駛りつつ、いうにいえない心もちがした。これほどの稲、これほどの・・・ 宮本百合子 「青田は果なし」
鍋はぐつぐつ煮える。 牛肉の紅は男のすばしこい箸で反される。白くなった方が上になる。 斜に薄く切られた、ざくと云う名の葱は、白い処が段々に黄いろくなって、褐色の汁の中へ沈む。 箸のすばしこい男は、三十前後であろ・・・ 森鴎外 「牛鍋」
出典:青空文庫