・・・私と向い合うと、立掛けてあった鉄砲――あれは何とかいう猟銃さ――それを縦に取って、真鍮の蓋を、コツコツ開けたり、はめたりする。長い髪の毛を一振振りながら、ニヤリと笑って、と云ってね。袋から、血だらけな頬白を、――そういって、今度は銃を横へ向・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・ と目通りで、真鍮の壺をコツコツと叩く指が、掌掛けて、油煙で真黒。 頭髪を長くして、きちんと分けて、額にふらふらと捌いた、女難なきにしもあらずなのが、渡世となれば是非も無い。「石油が待てしばしもなく、※じゃござりません。唯今、鼻・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・ この縁の突当りに、上敷を板に敷込んだ、後架があって、機械口の水も爽だったのに、その暗紛れに、教授が入った時は一滴の手水も出なかったので、小春に言うと、電話までもなく、帳場へ急いで、しばらくして、真鍮の水さしを持って来て言うのには、手水・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・これまでは口には小言を言うても、心中に疑わなかったのだが、今夜は口には余り言わないが、心では十分に二人に疑いを起したに違いない。民子はいよいよ小さくなって座敷中へは出ない。僕は山から採ってきた、あけびや野葡萄やを沢山座敷中へ並べ立てて、暗に・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・ 表面すこぶる穏やかに見えるおとよも、その心中には一分間の間も、省作の事に苦労の絶ゆることはない。これほどに底深く力強い思いの念力、それがどうして省作に伝わらずにいよう。 省作は何事も敏活にはやらぬ男だ。自分の意志を口に現わすにも行・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・この頃の或る新聞に、沼南が流連して馴染の女が病気で臥ている枕頭にイツマデも附添って手厚く看護したという逸事が載っているが、沼南は心中の仕損いまでした遊蕩児であった。が、それほど情が濃やかだったので、同じ遊蕩児でも東家西家と花を摘んで転々する・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・線の太い歴史物よりは『南柯夢』や『旬殿実々記』のような心中物に細かい繊巧な技術を示しておる。『八犬伝』でも浜路や雛衣の口説が称讃されてるのは強ち文章のためばかりではない。が、戦記となるとまるで成っていない。ヘタな修羅場読と同様ただ道具立を列・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・しかしわれわれはそのときのカーライルの心中にはいったときには実に推察の情溢るるばかりであります。カーライルのエライことは『革命史』という本のためにではなくして、火にて焼かれたものをふたたび書き直したということである。もしあるいはその本が遺っ・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・ 光治は、その笛をもらって手に取ってみますと、竹に真鍮の環がはまっている粗末な笛に思われました。けれど、それをいただいて、なおもこの不思議なじいさんを見上げていますと、「さあ、私はゆく……またいつか、おまえにあうことがあるだろう。」・・・ 小川未明 「どこで笛吹く」
・・・ 為さんは店の真鍮火鉢を押し出して、火種を貰うと、手元へ引きつけてまず一服。中仕切の格子戸はあけたまま、さらにお光に談しかけるのであった。「お上さん、親方はどんなあんばいですね?」「どうもね、快くないんで困ってしまうわ」「あ・・・ 小栗風葉 「深川女房」
出典:青空文庫