・・・ 且つ仕舞船を漕ぎ戻すに当っては名代の信者、法華経第十六寿量品の偈、自我得仏来というはじめから、速成就仏身とあるまでを幾度となく繰返す。連夜の川施餓鬼は、善か悪か因縁があろうと、この辺では噂をするが、十年は一昔、二昔も前から七兵衛を知っ・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
私にとっては文芸というものに二つの区別があると思う。即ち悶える文芸と、楽しむ文芸とがそれである。 吾々の此の日常生活というものに対して些の疑をも挾まず、有ゆる感覚、有ゆる思想を働かして自我の充実を求めて行く生活、そして何を見、何に・・・ 小川未明 「絶望より生ずる文芸」
・・・やはり、どこまでも救われない自我的な自分であることだけが、痛感された。粗末なバラックの建物のまわりの、六七本の桜の若樹は、もはや八分どおり咲いていた。…… 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・ 物象的価値の感情と自我価値感情とは対立する。人間には自敬の感情がある。この敬の意識は物の価値、福利とは全く次元を異にする。倫理はこの人格価値感情を究竟の目的とすべきである。物の価値はただこの人格価値の手段としてのみ価値を持つのにすぎぬ・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・所謂、自我に目ざめたブルジョアジーの世界観から来ている。この傾向をもっとはっきり表現しているのは、与謝野晶子の新体詩である。それは、明治三十七年、十月頃の「明星」に出た。題は、「君死にたまふことなかれ」という。弟が旅順口包囲軍に加わって戦争・・・ 黒島伝治 「反戦文学論」
・・・自分の心の醜さと、肉体の貧しさと、それから、地主の家に生れて労せずして様々の権利を取得していることへの気おくれが、それらに就いての過度の顧慮が、この男の自我を、散々に殴打し、足蹶にした。それは全く、奇妙に歪曲した。このあいそのつきた自分の泡・・・ 太宰治 「花燭」
・・・ちょっと地味に見えながらも、君ほど自我の強い男は、めったにありません。おそろしく復讐心の強い男のようにさえ見えます。自分自身を悪い男だ、駄目な男だと言いながら、その位置を変える事には少しも努力せず、あわよくばその儘でいたい、けれどもその虫の・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・まるで、自画自讃ではないか。この奥さんには三人の子供があるのだ。その三人の子供に慕われているわが身の仕合せを思って唄っているのか。或いはまた、この奥さんの故郷の御老母を思い出して。まさか、そんな事もあるまい。しばらく私は、その繰り返し唄う声・・・ 太宰治 「作家の手帖」
・・・芸術の尊厳、自我への忠誠、そのような言葉の苛烈が、少しずつ、少しずつ思い出されて、これは一体、どうしたことか。一口で、言えるのではないか。笠井さんは、昨今、通俗にさえ行きづまっているのである。 汽車は、のろのろ歩いている。山の、のぼりに・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・彼が二十三歳の折に描いた自画像である。アサヒグラフ所載のものであって、児島喜久雄というひとの解説がついている。「背景は例の暗褐色。豊かな金髪をちぢらせてふさふさと額に垂らしている。伏目につつましく控えている碧い神経質な鋭い目も、官能的な桜桃・・・ 太宰治 「もの思う葦」
出典:青空文庫