・・・ かつまた当時は塞外の馬の必死に交尾を求めながら、縦横に駈けまわる時期である。して見れば彼の馬の脚がじっとしているのに忍びなかったのも同情に価すると言わなければならぬ。…… この解釈の是非はともかく、半三郎は当日会社にいた時も、舞踏か何・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・己と袈裟との間の恋愛は、今と昔との二つの時期に別れている。己は袈裟がまだ渡に縁づかない以前に、既に袈裟を愛していた。あるいは愛していると思っていた。が、これも今になって考えると、その時の己の心もちには不純なものも少くはない。己は袈裟に何を求・・・ 芥川竜之介 「袈裟と盛遠」
・・・人には性の要求と生の疑問とに、圧倒される荷を負わされる青年と云う時期があります。私の心の中では聖書と性慾とが激しい争闘をしました。芸術的の衝動は性欲に加担し、道義的の衝動は聖書に加担しました。私の熱情はその間を如何う調和すべきかを知りません・・・ 有島武郎 「『聖書』の権威」
・・・なぜならば、実行に先立って議論が戦わされねばならぬ時期にあっては、労働者は極端に口下手であったからである。彼らは知らず識らず代弁者にたよることを余儀なくされた。単に余儀なくされたばかりでなく、それにたよることを最上無二の方法であるとさえ信じ・・・ 有島武郎 「宣言一つ」
・・・我々青年は誰しもそのある時期において徴兵検査のために非常な危惧を感じている。またすべての青年の権利たる教育がその一部分――富有なる父兄をもった一部分だけの特権となり、さらにそれが無法なる試験制度のためにさらにまた約三分の一だけに限られている・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・ しかしその事はもはやかれこれいうべき時期を過ぎた。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ とにもかくにも、明治四十年代以後の詩は、明治四十年代以後の言葉で書かれねばならぬということは、詩語としての適不適、表白の便不便の問題・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・が、とにかく、これは問屋、市場へ運ぶのではなく、漁村なるわが町内の晩のお菜に――荒磯に横づけで、ぐわッぐわッと、自棄に煙を吐く艇から、手鈎で崖肋腹へ引摺上げた中から、そのまま跣足で、磯の巌道を踏んで来たのであった。 まだ船底を踏占めるよ・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・最後に、肩と頭と一団になったと思うと――その隊長と思うのが、衝と面を背けました時――苛つように、自棄のように、てんでんに、一斉に白墨を投げました。雪が群って散るようです。「気をつけ。」 つつと鷲が片翼を長く開いたように、壇をかけて列・・・ 泉鏡花 「雪霊続記」
・・・――近頃は、東京でも地方でも、まだ時季が早いのに、慌てもののせいか、それとも値段が安いためか、道中の晴の麦稈帽。これが真新しいので、ざっと、年よりは少く見える、そのかわりどことなく人体に貫目のないのが、吃驚した息もつかず、声を継いで、「・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・貴方を抱いて、ちゃんと起きて、居直って、あいそづかしをきっぱり言って、夜中に直ぐに飛出して、溜飲を下げてやろうと思ったけれど……どんな発機で、自棄腹の、あの人たちの乱暴に、貴方に怪我でもさせた日にゃ、取返しがつかないから、といま胸に手を置い・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
出典:青空文庫