・・・のほかに、私自身の言葉を蛇足ながらつけ加えて、先生の告別の辞が、先生の希望どおり、先生の薫陶を受けた多くの人々の目に留まるように取り計らうのである。そうしてその多くの人々に代わって、先生につつがなき航海と、穏やかな余生とを、心から祈るのであ・・・ 夏目漱石 「ケーベル先生の告別」
・・・「どうも君は自信家だ。剛健党になるかと思うと、天祐派になる。この次ぎには天誅組にでもなって筑波山へ立て籠るつもりだろう」「なに豆腐屋時代から天誅組さ。――貧乏人をいじめるような――豆腐屋だって人間だ――いじめるって、何らの利害もない・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・理においてはいかにも当然である、私もそれを否定するだけの自信も有ち得なかった。しかしそれに関らず私は何となく乾燥無味な数学に一生を托する気にもなれなかった。自己の能力を疑いつつも、遂に哲学に定めてしまった。四高の学生時代というのは、私の生涯・・・ 西田幾多郎 「或教授の退職の辞」
余は真宗の家に生れ、余の母は真宗の信者であるに拘らず、余自身は真宗の信者でもなければ、また真宗について多く知るものでもない。ただ上人が在世の時自ら愚禿と称しこの二字に重きを置かれたという話から、余の知る所を以て推すと、愚禿・・・ 西田幾多郎 「愚禿親鸞」
・・・なぜかならば我等の芸術を装幀するものは、通例我等自身ではないからです。我等の為し得るところは、精々のところ他人の製作した者の中から、あの額縁この表紙を選定し指定するに過ぎない。しかもその選定や指定すら、多くの困難なる事情の下に到底満足には行・・・ 萩原朔太郎 「装幀の意義」
・・・それは大地震の来る一瞬前に、平常と少しも変らない町の様子を、どこかで一人が、不思議に怪しみながら見ているような、おそろしい不安を内容した予感であった。今、ちょっとしたはずみで一人が倒れる。そして構成された調和が破れ、町全体が混乱の中に陥入っ・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・ 秋山は陸面から八十尺の深さに掘り下げた、彼等自身の掘鑿を這い上りながら、腰に痛みを覚えた。が、その痛みは大して彼に気を揉ませはしなかった。何故ならば、それはいつでもある事だったから。 ダイの仕度は出来た。 二十三本の発破が、岩・・・ 葉山嘉樹 「坑夫の子」
・・・ ――手前は看守長だと言うんなら、手前は言った言葉に対して責任を持つだろうな。 ――もちろんだ。 ――手前は地震が何のことなく無事に終るということが、あらかじめ分ってたと言ったな。 ――言ったよ。 ――手前は地震学を誰か・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・依て窃に案ずるに、本文の初に子なき女は去ると先ず宣言して、文の末に至り、妾に子あれば去るに及ばずと前後照応して、男子に蓄妾の余地を与え、暗々裡に妻をして自身の地位を固くせんが為め、蓄妾の悪事たるを口に言わずして却て之を夫に勧めしむるの深意な・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・即ち自身の他に擢んでて他人の得て我に及ばざる所のものを恃みにするの謂にして、あるいは才学の抜群なるあり、あるいは資産の非常なるあり、皆以て身の重きを成して自信自重の資たるべきものなれども、就中私徳の盛んにしていわゆる屋漏に恥じざるの一義は最・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
出典:青空文庫