・・・ 温情家とか慈善家とでも思っているのかね? とんでもない!」原口の出て行った後で、笹川は不機嫌を曝けだした、罵るような調子で私に向ってきた。 私は恐縮してしまった。「いやけっしてその、そんな風に考えているというわけでもないのだがね…・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・種々の社会政策、社会慈善事業、公共施設、社会改革運動等は大むねこの目標の下に行なわれている。常識的ではあるが実際の社会に影響を及ぼし、主義を実現する勢力の強いことはアングロ・サクソンの政治の如くである。しかしわれわれはそれに眩惑されてはなら・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・骨董商はちょっと取片付けて澄ましているものだが、それだって何も慈善事業で店を開いている訳ではない、その道に年期を入れて資本を入れて、それで妻子を過しているのだから、三十円のものは口銭や経費に二十円遣って五十円で買うつもりでいれば何の間違はな・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・などと、自分の女房のみじめな死を、よそごとのように美しく形容し、その棺に花束一つ投入してやったくらいの慈善を感じてすましている。これは、いかにも不思議であります。果して、芸術家というものは、そのように冷淡、心の奥底まで一個の写真機に化してい・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・あの音楽隊のやかましさ。慈善鍋。なぜ、鍋でなければいけないのだろう。鍋にきたない紙幣や銅貨をいれて、不潔じゃないか。あの女たちの図々しさ。服装がどうにかならぬものだろうか。趣味が悪いよ。 人道主義。ルパシカというものが流行して、カチュウ・・・ 太宰治 「苦悩の年鑑」
・・・しかし事前におけるノルマルの鼓動数が書いてないから増加のパーセントはわからない。少しばかげてはいるが、とにかくも人間のテンペラメントを数字で代表させようという傾向を示すものとして興味があるであろう。 これらの例で明らかであるように、いわ・・・ 寺田寅彦 「記録狂時代」
・・・各自の望みを追うに暇のない世人は、たまに彼の萎びた掌に一片の銅貨を落す人はあっても、おそらくはそれはただ自分の心の中の慈善箱に投げ入れるに過ぎぬであろう。そして今特別の同情を以て見ている余にさえも、この何処の何人とも知れぬ人の記憶が長く止ま・・・ 寺田寅彦 「凩」
・・・そのほかにも何かの慈善音楽会というようなものもあって、そんなおりには私にとっては全く耳新しかったいろいろのソロなどを聞く事もできた。 記憶が混雑して確かな事は言われないが、たぶんそういう種類の演奏会のどれかで私は始めてケーベルさんの顔を・・・ 寺田寅彦 「二十四年前」
・・・道端に乞食が一人しゃがんで頻りに叩頭いていたが誰れも慈善家でないと見えて鐚一文も奉捨にならなかったのは気の毒であった。これが柴とりの云うた新坂なるべし。つくつくほうしが八釜しいまで鳴いているが車の音の聞えぬのは有難いと思うていると上野から出・・・ 寺田寅彦 「根岸庵を訪う記」
・・・しかるに彼ら閣臣の輩は事前にその企を萌すに由なからしむるほどの遠見と憂国の誠もなく、事後に局面を急転せしむる機智親切もなく、いわば自身で仕立てた不孝の子二十四名を荒れ出すが最後得たりや応と引括って、二進の一十、二進の一十、二進の一十で綺麗に・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
出典:青空文庫