・・・然し梅子は能くこれに堪えて愈々従順に介抱していた。其処で倉蔵が「お嬢様、マア貴嬢のような人は御座りませんぞ、神様のような人とは貴嬢のことで御座りますぞ、感心だなア……」と老の眼に涙をぼろぼろこぼすことがある。 こんな風で何時しか秋の・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・一方には、従順に、勇敢に、献身的に、一色に塗りつぶされた武者人形。一方には、自意識と神経と血のかよった生きた人間。 勿論、「将軍」に最も正しく現実が伝えられているか否かは、検討の余地のある問題であるが、こゝには、すくなくとも故意の歪曲と・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・まず、あいつを完全に征服し、あいつを遠慮深くて従順で質素で小食の女に変化させ、しかるのちにまた行進を続行する。いまのままだと、とにかく金がかかって、行進の続行が不可能だ。 勝負の秘訣。敵をして近づかしむべからず、敵に近づくべし。 彼・・・ 太宰治 「グッド・バイ」
・・・それから、君のうしろにそっと立って、君の眺めているその同じものを従順しく眺めている。君が美しいと思っているその気持をそのとおりに、汲んでいる。ながくて五分間だね。」「いや、一分でたくさんだ。五分間じゃ、それっきり沈んで死んでしまう。」・・・ 太宰治 「雌に就いて」
・・・この次男は、兄妹中で最も冷静な現実主義者で、したがって、かなり辛辣な毒舌家でもあるのだが、どういうものか、母に対してだけは、蔓草のように従順である。ちっとも意気があがらない。いつも病気をして、母にお手数をかけているという意識が胸の奥に、しみ・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・例えば従順と倨傲と、あるいは礼譲とブルタリティと、二つの全く相反するものが互いに密に混合して、渾然としたものに出来上がったとでも云ったらよいか。これが邪魔になって、私はどうしてもこの階級の人達に対して親しみを感じる訳に行かない。 それで・・・ 寺田寅彦 「雑記(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・とにかくこういう時代には、人間は極端に自然に従順であって、自然に逆らうような大それた企ては何もしなかったからよかったのである。 文明が進むに従って人間は次第に自然を征服しようとする野心を生じた。そうして、重力に逆らい、風圧水力に抗するよ・・・ 寺田寅彦 「天災と国防」
・・・自然の神秘とその威力を知ることが深ければ深いほど人間は自然に対して従順になり、自然に逆らう代わりに自然を師として学び、自然自身の太古以来の経験をわが物として自然の環境に適応するように務めるであろう。前にも述べたとおり大自然は慈母であると同時・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・逃げて縁の下へでも隠れたらいいだろうと思うが、どこまでも従順に、いやいやながら無抵抗に自由にされているのがどうも少し残酷なように思われだした。実際だんだんにやせて来た時とは見違えるように細長くなるようであった。歩くにもなんだかひょろひょろす・・・ 寺田寅彦 「ねずみと猫」
・・・猫が犬よりも人に愛せられないのは、犬のように柔順でないからである。わたくしの父はわたくしが文学を修めたことについて、いかに痛嘆しておられたかは、その手紙の外には書いたものが残っていないので、今これを詳にすることができない。しかし平生儒学を奉・・・ 永井荷風 「西瓜」
出典:青空文庫