・・・「それだけわかっていれば大丈夫だ。目がまわったも怪しいもんだぜ。」 飯沼はもう一度口を挟んだ。「だからその中でもといっているじゃないか? 髪は勿論銀杏返し、なりは薄青い縞のセルに、何か更紗の帯だったかと思う、とにかく花柳小説の挿・・・ 芥川竜之介 「一夕話」
・・・しかし馬の脚は丈夫ですよ。時々蹄鉄を打ちかえれば、どんな山道でも平気ですよ。……」 するともう若い下役は馬の脚を二本ぶら下げたなり、すうっとまたどこかからはいって来た。ちょうどホテルの給仕などの長靴を持って来るのと同じことである。半三郎・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・「拝啓、貴下の夫人が貞操を守られざるは、再三御忠告……貴下が今日に至るまで、何等断乎たる処置に出でられざるは……されば夫人は旧日の情夫と共に、日夜……日本人にして且珈琲店の給仕女たりし房子夫人が、……支那人たる貴下のために、万斛の同情無・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・弁士の話じゃ、これがその人の情婦なんですとさ。年をとっている癖に、大きな鳥の羽根なんぞを帽子につけて、いやらしいったらないんでしょう。」 お徳は妬けたんだ。それも写真にじゃないか。(ここまで話すと、電車が品川へ来た。自分は新橋で下り・・・ 芥川竜之介 「片恋」
・・・「あの女は黄の情婦だったんだよ。」 僕は彼の註文通り、驚嘆する訣には行かなかった。けれども浮かない顔をしたまま、葉巻を銜えているのも気の毒だった。「ふん、土匪も洒落れたもんだね。」「何、黄などは知れたものさ。何しろ前清の末年・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・私は今でもその若主人が、上布の肩から一なすり墨をぼかしたような夏羽織で、西瓜の皿を前にしながら、まるで他聞でも憚るように、小声でひそひそ話し出した容子が、はっきりと記憶に残っています。そう云えばもう一つ、その頭の上の盆提灯が、豊かな胴へ秋草・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・ ところでいくらお前さんが可愛い顔をしてるたって、情婦を拵えたって、何もこの年紀をしてものの道理がさ、私がやっかむにも当らずか、打明けた所、お前さん、御新造様と出来たのかね。え、千ちゃん、出来たのならそのつもりさ。お楽み! てなことで引・・・ 泉鏡花 「清心庵」
・・・……「雪がちらちら雨まじりで降る中を、破れた蛇目傘で、見すぼらしい半纏で、意気にやつれた画師さんの細君が、男を寝取った情婦とも言わず、お艶様――本妻が、その体では、情婦だって工面は悪うございます。目を煩らって、しばらく親許へ、納・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・……柱も天井も丈夫造りで、床の間の誂えにもいささかの厭味がない、玄関つきとは似もつかない、しっかりした屋台である。 敷蒲団の綿も暖かに、熊の皮の見事なのが敷いてあるは。ははあ、膝栗毛時代に、峠路で売っていた、猿の腹ごもり、大蛇の肝、獣の・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・ と小宮山は友人の情婦ではあり、煩っているのが可哀そうでもあり、殊には血気壮なものの好奇心も手伝って、異議なく承知を致しました。「しかし姐さん、別々にするのだろうね。」「何でございます。」「何その、お床の儀だ。」「おほほ・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
出典:青空文庫