・・・ ウイリイは丈夫に大きくなりました。それに大へんすなおな子で、ちっとも手がかかりませんでした。 ふた親は乞食のじいさんがおいていった鍵を、一こう大事にしないで、そこいらへ、ほうり出しておきました。それをウイリイが玩具にして、しまいに・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・嘉七は、それを聞いていながら、恥ずかしいほどであった。丈夫なやつだ。「おい、かず枝。しっかりしろ。生きちゃった。ふたりとも、生きちゃった。」苦笑しながら、かず枝の肩をゆすぶった。 かず枝は、安楽そうに眠りこけていた。深夜の山の杉の木・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・女二人に争われて、自分は全く知らぬ間に、女房は殺され、情婦は生きた。ああ、そのことは、どんなに芸術家の白痴の虚栄を満足させる事件であろう。あの人は、生き残った私に、そうして罪人の私に、こんどは憐憫をもって、いたわりの手をさしのべるという形に・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・つね日頃より貴族の出を誇れる傲縦のマダム、かの女の情夫のあられもない、一路物慾、マダムの丸い顔、望見するより早く、お金くれえ、お金くれえ、と一語は高く、一語は低く、日毎夜毎のお念仏。おのれの愛情の深さのほどに、多少、自負もっていたのが、破滅・・・ 太宰治 「創生記」
・・・須々木乙彦のことが新聞に出て、さちよもその情婦として写真まで掲載され、とうとう故郷の伯父が上京し、警察のものが中にはいり、さちよは伯父と一緒に帰郷しなければならなくなった。謂わば、廃残の身である。三年ぶりに見る、ふるさとの山川が、骨身に徹す・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・ ドリスは可哀らしい情婦としてはこの上のない女である。不機嫌な時がない。反抗しない。それに好い女と云う意味から云えば、どの女だってドリスより好く見えようがない。人を悩殺する媚がある。凡て盛りの短い生物には、生活に対する飢渇があるものだが・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・ 情婦ジェニーが市松模様のガラス窓にもたれて歌うところがちょっと、マチスの絵を見るような感じである。 乞食頭のピーチャムのする芝居にはどうも少ししっくりしないわざとらしさを感じる。 この映画の前半はいかにも昔のロンドンのような気・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・とにかくその一と夏の湯治で目立って身体が丈夫になったので両親はひどく喜んだそうである。 自分にはそんなに海を怖がったというような記憶は少しも残っていない。しかし実際非常に怖い思いをしたので、そのときに眼底に宿った海岸と海水浴場の光景がそ・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
・・・このダンサーは後に昔の情夫に殺されるための役割でこの喜劇に招集されたもので、それが殺されるのはその殺人罪の犯人の嫌疑をこの靴磨きの年とった方、すなわち浅岡了介に背負わせるという目的のために殺されなければならないことになっている。しかも、その・・・ 寺田寅彦 「初冬の日記から」
・・・真逆に墓表とは見えずまた墓地でもないのを見るとなんでもこれは其処で情夫に殺された女か何かの供養に立てたのではあるまいかなど凄涼な感に打たれて其処を去り、館の裏手へ廻ると坂の上に三十くらいの女と十歳くらいの女の子とが枯枝を拾うていたからこれに・・・ 寺田寅彦 「根岸庵を訪う記」
出典:青空文庫