・・・第一に身体が昔より丈夫になり、神経が少し図太く鈍って来た。青年時代に、僕をひどく苦しめた病的感覚や強迫観念が、年と共に次第に程度を弱めて来た。今では多人数の会へ出ても、不意に人の頭をなぐったり、毒づいたりしようとするところの、衝動的な強迫観・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
・・・ ――手だけは、未だ俺は丈夫なんだからな。ポカッ! と、俺は、奴の鼻に行かなくちゃいけない。口ではいけない。眼ならいくらかいい。だが鼻が一等きき目があるからな。ざまあ見やがれ、鼻血なんぞだらしなく垂らしやがって―― 私は、本船から、・・・ 葉山嘉樹 「浚渫船」
・・・ 然れども難きを見てなさざるは丈夫の志にあらず、益あるを知りて興さざるは報国の義なきに似たり。けだしこの学を世におしひろめんには、学校の規律を彼に取り、生徒を教道するを先務とす。よって吾が党の士、相ともに謀りて、私にかの共立学校の制にな・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾の記」
・・・ちょうどもうあなたの丈夫な、白いお手に握られてしまったようでございました。あの時の苦しさを思えば、今の夫に不実をせられたと思った時の苦しさはなんでもございません。わたくしの美しい夢はこのとき消えてしまいました。 わたくしはどうしてもあな・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・ 暗い丈夫そうな門に「質屋」と書いてある。これは昔からいやな感じがする処だ。 竹垣の内に若木の梅があってそれに豆のような実が沢山なって居るのが車の上から見える。それが嬉しくてたまらぬ。 狸横町の海棠は最う大抵散って居た。色の褪せ・・・ 正岡子規 「車上の春光」
・・・もっとも帽の上部は見えて居らぬ。首から下も見えぬけれど何だか二重廻しを著て居るように思われた。その顔が三たび変った。今度は八つか九つ位の女の子の顔で眼は全く下向いて居る。額際の髪にはゴムの長い櫛をはめて髪を押さえて居る。四たび変って鬼の顔が・・・ 正岡子規 「ランプの影」
・・・皮も全体、立派で丈夫な象皮なのだ。そしてずいぶんはたらくもんだ。けれどもそんなに稼ぐのも、やっぱり主人が偉いのだ。「おい、お前は時計は要らないか。」丸太で建てたその象小屋の前に来て、オツベルは琥珀のパイプをくわえ、顔をしかめて斯う訊いた・・・ 宮沢賢治 「オツベルと象」
・・・きょう、またおどろくような迅さで、日本の人民生活と文化とが高波にさらされようとしているとき、文学を文学として守るためにも、この著者の諸評論は丈夫な足がかりを与えるものである。〔一九四八年六月〕・・・ 宮本百合子 「巖の花」
・・・社会にあって文学が政治とともに経済の上部構造であるにしても、芸術のように旺盛な人間の創造的表現が、人々の心に訴え、語りかける以上、それがまた立ちかえって政治に影響しないということはありえないことである。発生の順を社会科学の角度からみれば、後・・・ 宮本百合子 「作家の経験」
・・・壁は暗緑色の壁紙、天井壁の上部は純白、入口は小さくし、一歩其中に踏入ると、静かな光線や、落付いた家具の感じが、すっかり心を鎮め、大きく広い机の上の原稿紙が、自ら心を牽きつけ招くようにありたい。 壁に少し、愛する絵をかけ、ゆっくりと体をの・・・ 宮本百合子 「書斎を中心にした家」
出典:青空文庫