・・・復讐の挙が江戸の人心に与えた影響を耳にするのは、どんな些事にしても、快いに相違ない。ただ一人内蔵助だけは、僅に額へ手を加えたまま、つまらなそうな顔をして、黙っている。――藤左衛門の話は、彼の心の満足に、かすかながら妙な曇りを落させた。と云っ・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・わしは人臣としては、水戸黄門と加藤清正とに、最も敬意を払っている。――そんな事を云っていられた。」 穂積中佐は返事をせずに、頭の上の空を見上げた。空には柳の枝の間に、細い雲母雲が吹かれていた。中佐はほっと息を吐いた。「春だね、いくら・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・春の日は麗かに輝いて、祭日の人心を更らに浮き立たした。男も女も僧侶もクララを振りかえって見た。「光りの髪のクララが行く」そういう声があちらこちらで私語かれた。クララは心の中で主の祈を念仏のように繰返し繰返しひたすらに眼の前を見つめながら歩い・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・――その上、一人身ではないそうだ。――ここへ来る途中で俄盲目の爺さんに逢って、おなじような目の悪い父親があると言って泣いたじゃないか。」―― 掛稲、嫁菜の、畦に倒れて、この五尺の松に縋って立った、山代の小春を、近江屋へ連戻った事は、・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・人がよい事があるとわきから腹を立てたりするのも世の中の人心で無理もない。自分の子でさえ親の心の通りならないで不幸者となり女の子が年頃になって人の家に行き其の夫に親しくして親里を忘れる。こんな風儀はどこの国に行っても変った事はない。 加賀・・・ 著:井原西鶴 訳:宮本百合子 「元禄時代小説第一巻「本朝二十不孝」ぬきほ(言文一致訳)」
・・・ 私が初めて甚深の感動を与えられ、小説に対して敬虔な信念を持つようになったのはドストエフスキーの『罪と罰』であった。この『罪と罰』を読んだのは明治二十二年の夏、富士の裾野の或る旅宿に逗留していた時、行李に携えたこの一冊を再三再四反覆して・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・私はこれを日本国民が二千年来この生を味うて得た所のものが間接の思想の形式に由らず直ちに人の肉声に乗って無形のままで人心に来り迫るのだ」とあるは二葉亭のこの間の芸に魅入られた心境を説明しておる。だが、こういうと馬鹿に難かしく面倒臭くなるが、畢・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・伊井公侯の欧化策は文明の皮殻の模倣であったが、人心を新たにし元気を横溢せしめて新らしい文明のエポックを作った。頓挫しても新らしい文化の種子を播いたのは争えない。当時の公侯の文化主義は終に曾我の家式滑稽として終ったが、シカモこの喜劇は極めて尊・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・ 今度の戦争の事に対しても、徹底的に最後まで戦うということは、独逸が勝っても、或は敗けても、世界の人心の上にはっきりした覚醒を齎すけれども、それがこの儘済んだら、世界の人心に対して何物をも附与しないであろう。・・・ 小川未明 「愛に就ての問題」
・・・ 多くの人心を魅してその中に惹き入れるところのものは、その主張なり傾向なりが深く現実に根ざしているからである。信念の在る処、信仰の存する処、悉くこれ現実に立脚していると言えよう。どんな破壊的な行為でも、またどんなに平凡に見える行為でも、・・・ 小川未明 「囚われたる現文壇」
出典:青空文庫