・・・沖はよく和ぎて漣の皺もなく島山の黒き影に囲まれてその寂なるは深山の湖水かとも思わるるばかり、足もとまで月影澄み遠浅の砂白く水底に光れり。磯高く曳き上げし舟の中にお絹お常は浴衣を脱ぎすてて心地よげに水を踏み、ほんに砂粒まで数えらるるようなと、・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・ 柳の間をもれる日の光が金色の線を水の中に射て、澄み渡った水底の小砂利が銀のように碧玉のように沈んでいる。 少年はかしこここの柳の株に陣取って釣っていたが、今来た少年の方を振り向いて一人の十二、三の少年が『檜山! これを見ろ!』・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・井村の推定は間違っていなかった。それは、恐ろしく巨大な鉱石の塊だった。「あんたは、自分の立てた手柄まで、上の人に取られてしまうんだね。」 タエは、小声でよって来た。カンテラが、無愛想に渋り切った井村の顔に暗い陰影を投げた。彼女は、ギ・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・中浮と申しますのは、水死者に三態あります、水面に浮ぶのが一ツ、水底に沈むのが一ツ、両者の間が即ち中浮です。引かれて死体は丁度客の坐の直ぐ前に出て来ました。 「詰らねえことをするなよ、お返し申せと言ったのに」と言いながら、傍に来たものです・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・そうすればただうっかり無意味で入れたのではない。心あって自分にくれたのである。そう推定したってむりとは言えまい。自分は袖を翳して何だかほろりとなった。 しかし自分は藤さんについてはついにこれだけしか知らないのである。ああして不意に帰った・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・両足を括って水に漬られているようなもので、幾らわたしが手を働かして泳ぐ積りでも、段々と深みへ這入って、とうとう水底に引き込まれるんだわ。その水底にはお前さんが大きな蟹になって待っていて、鋏でわたしを挟むのだわ。それが今ここにこうしているわた・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
・・・ それきりまたぐっと水底へ引きずりこまれたのである。 二 春の土用から秋の土用にかけて天気のいい日だと、馬禿山から白い煙の幾筋も昇っているのが、ずいぶん遠くからでも眺められる。この時分の山の木には精気が多くて炭を・・・ 太宰治 「魚服記」
・・・日本海は墨絵だ、と愚にもつかぬ断案を下して、私は、やや得意になっていた。水底を見て来た顔の小鴨かな、つまりその顔であったわけだが、さらに、よろよろ船腹の甲板に帰って来て眼前の無言の島に対しては、その得意の小鴨も、首をひねらざるを得なかった。・・・ 太宰治 「佐渡」
・・・峻厳、執拗、わが首すじおさえては、ごぼごぼ沈めて水底這わせ、人の子まさに溺死せんとの刹那、すこし御手ゆるめ、そっと浮かせていただいて陽の目うれしく、ほうと深い溜息、せめて、五年ぶりのこの陽を、なお念いりにおがみましょうと、両手合せた、とたん・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・と告白し、「私はみんなの言うことをそっくりそのまま信じたのではないが、証人の数の多いことは、その言うところが正しいと推定せしむるに有力であることを思わざるを得なかった。聖グレゴリーも、善行について同様な意見であることを述べているようじゃ。」・・・ 太宰治 「春の盗賊」
出典:青空文庫