・・・…… 畜生――修羅――何等の光景。 たちまち天に蔓って、あの湖の薬研の銀も真黒になったかと思うと、村人も、往来も、いつまたたく間か、どッと溜った。 謹三の袖に、ああ、娘が、引添う。…… あわれ、渠の胸には、清水がそのまま、血・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ 修羅の巷を行くものの、魔界の姿見るがごとし。この種の事は自分実地に出あいて、見も聞きもしたる人他国にも間々あらんと思う。われ等もしばしば伝え聞けり。これと事柄は違えども、神田の火事も十里を隔てて幻にその光景を想う時は、おどろおどろ・・・ 泉鏡花 「遠野の奇聞」
・・・ かつて、北越、倶利伽羅を汽車で通った時、峠の駅の屋根に、車のとどろくにも驚かず、雀の日光に浴しつつ、屋根を自在に、樋の宿に出入りするのを見て、谷に咲残った撫子にも、火牛の修羅の巷を忘れた。――古戦場を忘れたのが可いのではない。忘れさせ・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・ ……と言うとたちまち、天に可恐しき入道雲湧き、地に水論の修羅の巷の流れたように聞えるけれど、決して、そんな、物騒な沙汰ではない。 かかる折から、地方巡業の新劇団、女優を主とした帝都の有名なる大一座が、この土地に七日間の興行して、全・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・ 犬ほどの蜥蜴が、修羅を燃して、煙のように颯と襲った。「おどれめ。」 と呻くが疾いか、治兵衛坊主が、その外套の背後から、ナイフを鋭く、つかをせめてグサと刺した。「うーむ。」と言うと、ドンと倒れる。 獺橋の婆さんが、まだ火・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・ヘタな修羅場読と同様ただ道具立を列べるのみである。葛西金町を中心としての野戦の如き、彼我の五、六の大将が頻りに一騎打の勇戦をしているが、上杉・長尾・千葉・滸我らを合すればかなりな兵数になる軍勢は一体何をしていたのか、喊の声さえ挙げていないよ・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・食色の慾が足り、少しの閑暇があり、利益や権力の慾火は断えず燃ゆるにしてもそれが世態漸く安固ならんとする傾を示して来て、そうむやみに修羅心に任せてもがきまわることも無効ならんとする勢の見ゆる時において、どうして趣味の慾が頭を擡げずにいよう。い・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・祇尼はまた阿修羅波子とも呼ばれて、その義は「飲血者」である。狐つかいの狐は人に禍や死を与える者とされている。して見れば祇尼の狐で、お稲荷様の狐ではないはずである。大江匡房が記している狐の大饗の事は堀河天皇の康和三年である。牛骨などを饗するの・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・ 修羅の巷が想像される。炸弾の壮観も眼前に浮かぶ。けれど七、八里を隔てたこの満洲の野は、さびしい秋風が夕日を吹いているばかり、大軍の潮のごとく過ぎ去った村の平和はいつもに異ならぬ。 「今度の戦争は大きいだろう」 「そうさ」 ・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・ 戦場でのすさまじい砲声、修羅の巷、残忍な死骸、そういうものを見てきた私には、ことにそうした静かな自然の景色がしみじみと染み通った。その対照が私に非常に深く人生と自然とを思わせた。 ある日、O君に言った。「弥勒に一度つれて行って・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
出典:青空文庫