・・・どういうものか、正式に学校から授けない、ものの巧者は、学士を飛越えて博士になる。博士神巫が、亭主が人殺しをして、唇の色まで変って震えているものを、そんな事ぐらいで留めはしない……冬の日の暗い納戸で、糸車をじい……じい……村も浮世も寒さに喘息・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・ が、正式に画を習い初めたのは淡島屋の養子となってから後であった。小さい時から長袖が志望であったというから、あるいは画師となって立派に門戸を張る心持がまるきりなかったとも限らないが、その頃は淡島屋も繁昌していたし、椿岳の兄の伊藤八兵衛は・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・いるのは、たぶん新聞の誤植であろうと、道子は一応考えたが、しかしひょっとして同じ大阪から受験した女の人の中に自分とよく似た名の田村道子という人がいるのかも知れない、そうだとすれば大変と思って、ひたすら正式の通知を待ちわびた。 合格の通知・・・ 織田作之助 「旅への誘い」
・・・「俺も正式に学校でも出ていて、まじめに勤めをするとか、翻訳の稽古でもしていたら、今ごろはこうしたことにもならずにすんだものを、創作なぞと柄にもないことを空想して与太をやってきたのが間違いだったかしれん。どうせ俺のような能なし者には、妻子・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・孩児の頃より既に音律を好み、三歳、痘を病んで全く失明するに及び、いよいよ琴に対する盲執を深め、九歳に至りて隣村の瞽女お菊にねだって正式の琴三味線の修練を開始し、十一歳、早くも近隣に師と為すべき者無きに至った。すぐに京都に上り、生田流、松野検・・・ 太宰治 「盲人独笑」
・・・あれの、正式の食べかたは、どういうのかしら。一本のとうもろこしに、食いついている姿は、ハアモニカを懸命に吹き鳴らしているようである。などと、ばかなことを、ふと考える。どんなにひどいニヒルにでも、最後まで附きまとうものは、食べものであるらしい・・・ 太宰治 「懶惰の歌留多」
・・・ その後おもちゃ屋で虫めがねのレンズを買って来て、正式の幻燈器械を作ろうとしたが失敗した。今考えてみると光学上の初歩の知識さえ皆無であり、それに使ったレンズがきわめて粗悪なものであるのみならず、焦点距離が長いのに、原画をあまり近く置きす・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・この種の人は正式の教育を受けない独創的気分の勝った人に往々見受ける事で甚だ惜しむべき事である。とにかく簡単なことについて歴史的に教えることも幾分加味した方が有益だと確信するのである。 寺田寅彦 「研究的態度の養成」
・・・お民の兄は始め芸者を引かせて内に入れたが、間もなく死別れて、二度目は田舎から正式に妻を迎え一時神田辺で何か小売商店を営んでいたところ、震災後商売も次第に思わしからず、とうとう店を閉じて郡部へ引移り或会社に雇われるような始末に、お民は兄の家の・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・自分は傘を突いたまましばらく玄関の前に立っていた。正式にいうと、あらかじめ重吉に通知をしたうえ、なおH着の時間を電報で言ってやるべきであるが、なるべくお互いの面倒を省いて簡略に事を済ますのが当世だと思って、わざと前触れなしに重吉を襲ったので・・・ 夏目漱石 「手紙」
出典:青空文庫