・・・私は、せかせかしていた。ろくろく、お辞儀もかえさず、「ひと違いなんです。お気の毒ですが、ひと違いなんです。ばかばかしいのです。」「いいえ。」低くそう言って、お辞儀の姿勢のままで、振り仰いだ顔は、端正である。眼が大きすぎて、少し弱い、・・・ 太宰治 「新樹の言葉」
・・・ おかみさんは、せかせかした口調で、前の席に坐っている妻に話掛けます。「青森のもっと向うです。」 と妻はぶあいそに答えます。「それは、たいへんだね。やっぱり罹災したのですか。」「はあ。」 妻は、いったいに、無口な女で・・・ 太宰治 「たずねびと」
・・・ みんなはまるでせかせかと走ってのぼりました。向こうの曲がり角の所に三郎が小さなくちびるをきっと結んだまま、三人のかけ上って来るのを見ていました。 三人はやっと三郎の前まで来ました。けれどもあんまり息がはあはあしてすぐには何も言えま・・・ 宮沢賢治 「風の又三郎」
・・・ ひとりの子供が、赤い毛布にくるまって、しきりにカリメラのことを考えながら、大きな象の頭のかたちをした、雪丘の裾を、せかせかうちの方へ急いで居りました。(そら、新聞紙を尖ったかたちに巻いて、ふうふうと吹くと、炭からまるで青火が燃える・・・ 宮沢賢治 「水仙月の四日」
・・・息がせかせかしてほんとうにたまらなくなりました。なにがそんなにおまえを切なくするのか、高が樺の木と狐との野原の中でのみじかい会話ではないか、そんなものに心を乱されてそれでもお前は神と云えるか、土神は自分で自分を責めました。狐が又云いました。・・・ 宮沢賢治 「土神ときつね」
・・・ 二人はやっと馳けるのをやめて、いきをせかせかしながら、草をばたりばたりと踏んで行きました。 いつか霧がすうっとうすくなって、お日さまの光が黄金色に透ってきました。やがて風が霧をふっと払いましたので、露はきらきら光り、きつねのしっぽ・・・ 宮沢賢治 「虹の絵具皿」
・・・ その人はまるで顔をまっ赤にしてせかせかと祭壇にのぼりました。我々は寛大に拍手しました。その人はぶるぶるふるえる手でコップに水をついでのみました。コップの外へも水がすこしこぼれました。そのふるえようがあんまりひどいので私は少し神経病の疑・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・ 早りっ気で思い立つと足元から火の燃えだした様にせかせか仕だす癖が有るので始めの一週間ばかりはもうすっかりそれに気を奪われて居た。 土の少なくなったのに手を泥まびれにして畑の土を足したり枯葉をむしったりした。 けれ共今はもうあき・・・ 宮本百合子 「秋毛」
・・・そして、最後に今朝買って来た紙包をとり出した彼女は、せかせか言葉を間違えたり、つかえたりしながら云った。「あのね、これはちっともよくないんだけれど、平常着になるような羽織地だからね。――どこへ行ったって其じゃあ働けないから。……縫って著・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・女はそのせかせかした男の瞳を見ては笑って居た。 それから間もなく水色のお召のマントに赤い緒の雪駄、かつら下地に髪を結んで、何かの霊の様なお龍と男はにぎやかなアスファルトをしきつめた□(通りを歩いて居た。通る男も通る男も皆自分からお龍をは・・・ 宮本百合子 「お女郎蜘蛛」
出典:青空文庫