・・・日本一の大原野の一角、木立の中の家疎に、幅広き街路に草生えて、牛が啼く、馬が走る、自然も人間もどことなく鷹揚でゆったりして、道をゆくにも内地の都会風なせせこましい歩きぶりをしない。秋風が朝から晩まで吹いて、見るもの聞くもの皆おおいなる田舎町・・・ 石川啄木 「初めて見たる小樽」
・・・よしんば、それが青春らしいものを、もだもだと表現しているにしても、二十代、三十代の者を唯一の読者とするような作品では、所詮はせせこましい天地に跼蹐しているに過ぎない。もっとも、私とても五十歩百歩、二十八歳の青春を表現したとは言うまい。そんな・・・ 織田作之助 「東京文壇に与う」
・・・彼はそのせせこましい展望を逃れて郊外へ移った。そこは偶然にも以前住んだことのある町に近かった。霜解け、夕凍み、その匂いには憶えがあった。 ひと月ふた月経った。日光と散歩に恵まれた彼の生活は、いつの間にか怪しい不協和に陥っていた。遠くの父・・・ 梶井基次郎 「過古」
・・・しかしアインシュタインは就学の自由を極端まで主張する方で、聴講資格のせせこましい制定を撤廃したいという意見らしい。演習なり実習なりである講義を理解する下地の出来たものは自由に入れてやって、普通学の素養などは強要しない。ことに彼の経験では有為・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・けれ共、絶えずせせこましい気持になって居るお君には、一日の時間も、非常に長い、非常に不安心なものであった。 お君は、思い出に一杯になった体を、溜息と一緒に寝返りを打たして、今までとは反対の壁側に顔を向けた。「母はんは、苦労ばかり・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・―― 自然に対して斯う云う憧憬的な気分の時、私は殆ど一種の嫌悪を以て目の前のせせこましい庭を見る。飛び石で小さいセメントの池から木戸まで、又は沈丁花の傍らまで人工的につながれた庭。通俗的な日本式庭園の型をまねて更に一層貧弱な結果を示・・・ 宮本百合子 「素朴な庭」
・・・と呼んで、近代社会の何千万人が、せせこましい、律気な、名のない大衆としての生活を送っているのです。 日本の家――ヨーロッパ人が木と紙の住居と言って驚く日本の、弱い、こまかい、自然に対してそう無防禦な家々は、一つ一つと切りはなされ、乏しい・・・ 宮本百合子 「よろこびの挨拶」
出典:青空文庫