・・・ 如意輪堂の扉に梓弓の歌かき残せし楠正行は、年僅に二十二歳で戦死した、忍びの緒を断ちかぶとに名香を薫ぜし木村重成も亦た僅かに二十四歳で、戦死した、彼等各自の境遇から、天寿を保ち若くば病気で死ぬることすらも、耻辱なりとして戦死を急いだ、而・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・文学界へ書くようになってからの北村君は、殆んど若い戦士の姿で、『人生に相渉るとは何ぞや』とか『頑執盲排の弊を論ず』とか、激越な調子の文章が続々出て来て、或る号なぞは殆んど一人で、雑誌の半分を埋めた事もあった。明治年代の文学を回顧すると民友社・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・息子戦死の報を聞くや、つと立って台所に行き、しゃっしゃっと米をといだという母親のぶざまと共に、この男の悲しみの顛倒した表現をも、苦笑してゆるしてもらいたい。 ずいぶんたくさん書くことを用意していた筈なのに、異様にこわばって、書けなくなっ・・・ 太宰治 「緒方氏を殺した者」
・・・なんという迂濶な男だ。戦死と出征であったのに。 その日、小坂氏と相談して結婚の日取をきめた。暦を調べて仏滅だの大安だのと騒ぐ必要は無かった。四月二十九日。これ以上の佳日は無い筈である。場所は、小坂氏のお宅の近くの或る支那料理屋。その・・・ 太宰治 「佳日」
・・・カアキ色のズボンをはいて、開襟シャツ、三鷹の町を産業戦士のむれにまじって、少しも目立つ事もなく歩いている。けれども、やっぱり酒の店などに一歩足を踏み込むと駄目である。産業戦士たちは、焼酎でも何でも平気で飲むが、私は、なるべくならばビイルを飲・・・ 太宰治 「作家の手帖」
東京は、いま、働く少女で一ぱいです。朝夕、工場の行き帰り、少女たちは二列縦隊に並んで産業戦士の歌を合唱しながら東京の街を行進します。ほとんどもう、男の子と同じ服装をしています。でも、下駄の鼻緒が赤くて、その一点にだけ、女の・・・ 太宰治 「東京だより」
・・・夕方、職場から帰った産業戦士たちが、その道場に立寄って、どたんばたんと稽古をしている。私は散歩の途中、その道場の窓の下に立ちどまり、背伸びしてそっと道場の内部を覗いてみる。実に壮烈なものである。私は、若い頑強の肉体を、生れてはじめて、胸の焼・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・得利寺で戦死した兵士がその以前かれに向かって 「どうせ遁れられぬ穴だ。思い切りよく死ぬサ」と言ったことを思い出した。 かれは疲労と病気と恐怖とに襲われて、いかにしてこの恐ろしい災厄を遁るべきかを考えた。脱走? それもいい、けれど捕え・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・夜にでもなったら古い昔のドイツ戦士の幻影がこの穴から出て来て、風雨に曝された廃墟の上を駆け廻りそうな気がした。城の後ろは切り立てたような懸崖で深く見おろす直下には真黒なキイファアの森が、青ずんだ空気の底に黙り込んでいた。「国の歴史や伝説・・・ 寺田寅彦 「異郷」
・・・県出身の若き将校らの悲壮な戦死を描いた平凡な石版画の写真でも中学生のわれわれの柔らかい頭を刺激し興奮させるには充分であった。そしてそれらの勇士を弔う唱歌の女学校生徒の合唱などがいっそう若い頭を感傷的にしたものである。一つは観客席が暗がりであ・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
出典:青空文庫