・・・するとM子さんのお母さんが一人船底椅子に腰をおろし、東京の新聞を読んでいました。M子さんはきょうはK君やS君と温泉宿の後ろにあるY山へ登りに行ったはずです。この奥さんは僕を見ると、老眼鏡をはずして挨拶しました。「こちらの椅子をさし上げま・・・ 芥川竜之介 「手紙」
・・・ 姉さん、そうすると、その火がよ、大方浪の形だんべい、おらが天窓より高くなったり、船底へ崖が出来るように沈んだり、ぶよぶよと転げやあがって、船脚へついて、海蛇ののたくるようについて来るだ。」「………………」「そして何よ、ア、ホイ・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・ まだ船底を踏占めるような、重い足取りで、田畝添いの脛を左右へ、草摺れに、だぶだぶと大魚を揺って、「しいッ、」「やあ、」 しっ、しっ、しっ。 この血だらけの魚の現世の状に似ず、梅雨の日暮の森に掛って、青瑪瑙を畳んで高い、・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・いいえ、二人はお座敷へ行っている……こっちはお茶がちだから、お節句だというのに、三人のいつもの部屋で寝ました処、枕許が賑かだから、船底を傾けて見ますとね、枕許を走ってる、長い黒髪の、白いきものが、球に乗って、……くるりと廻ったり、うしろへ反・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・ あれあれ、その波頭がたちまち船底を噛むかとすれば、傾く船に三人が声を殺した。途端に二三尺あとへ引いて、薄波を一煽り、その形に煽るや否や、人の立つごとく、空へ大なる魚が飛んだ。 瞬間、島の青柳に銀の影が、パッと映して、魚は紫立ったる・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・ 何故かは知らぬが、この船にでも乗って助かろうと、片手を舷に添えて、あわただしく擦上ろうとする、足が砂を離れて空にかかり、胸が前屈みになって、がっくり俯向いた目に、船底に銀のような水が溜って居るのを見た。 思わずあッといって失望した・・・ 泉鏡花 「星あかり」
・・・四人は蝙蝠傘二本をよすがに船底に小さくなってしばらく雨やどりをする。 ふたりの子どもを間にして予とお光さんはどうしても他人とはみえぬまで接近した。さすがにお光さんは平気でいられない風情である。予はことさらに空を眺めて困った雨ですなアなど・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・これを考えると、自分らの実行生活が有している最後の筌蹄は、ただ一語、「諦め」ということに過ぎない。その諦めもほんの上っ面のもので、衷心に存する不平や疑惑を拭い去る力のあるものではない。しかたがないからという諦めである。三 こ・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・まえから、そのために崖のうえのこの草原を、とくに選定したのである。眠った。ずるずる滑っているのをかすかに意識した。 寒い。眼をあいた。まっくらだった。月かげがこぼれ落ちて、ここは?――はっと気附いた。 おれは生き残った。 のどへ・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・宮廷に於ける諸勢力に対し、過不足ないよう、ことさらに当らずさわらずの人物が選定せられたのである。クロオジヤスは、申し分なき好人物にして、その条件に適っている如く見えた。ロオマ一ばんの貝殻蒐集家として知られていた。黒薔薇栽培にも一家言を持って・・・ 太宰治 「古典風」
出典:青空文庫