・・・歩いた。ただ、歩いた。歩いた。千里も歩いた。 G 美濃十郎は、実業家三村圭造の次女ひさと結婚した。帝国ホテルで華麗の披露宴を行った。その時の、新郎新婦の写真が、二、三の新聞に出ていた。十八歳の花嫁の姿は、月見草・・・ 太宰治 「古典風」
・・・とき折その可能を、ふと眼前に、千里韋駄天、万里の飛翔、一瞬、あまりにもわが身にちかく、ひたと寄りそわれて仰天、不吉な程に大きな黒アゲハ、もしくは、なまあたたかき毛もの蝙蝠、つい鼻の先、ひらひら舞い狂い、かれ顔面蒼白、わなわなふるえて、はては・・・ 太宰治 「創生記」
・・・キャメラが一町とは動いていない場合に、面画は何千里の遠方にあるか想像もできないようなひとり合点の編集ぶりは不親切である。 むだなようでもこうした実写映画では観客の頭の中へ空間的時間的な橋をかけながら進行するように希望したいのである。・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・その後にまた麻布の伊藤泰丸氏から手紙をよこされて、前記原氏のほかに後藤道雄、青地正皓、相原千里等の各医学博士の鍼灸に関する研究のある事を示教され、なお中川清三著「お灸の常識」という書物を寄贈された、ここに追記して大泉氏ならびに伊藤氏に感謝の・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・無限に対しては一里も千里も価値は大して変らない。このような時代に当って「完成の度」に代って作品の価値を定めるものは何であろう。それは譬えて云わば、無限に向かって進んで行く光の「強度」のようなものではあるまいか。無限の空間に運動している物の「・・・ 寺田寅彦 「帝展を見ざるの記」
・・・野をうずめ谷を埋めて千里の外に暖かき光りをひく。明かなる君が眉目にはたと行き逢える今の思は、坑を出でて天下の春風に吹かれたるが如きを――言葉さえ交わさず、あすの別れとはつれなし。 燭尽きて更を惜めども、更尽きて客は寝ねたり。寝ねたるあと・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・恋と名がつけば千里も行く。二十哩は云うに足らぬ。夜を守る星の影が自ずと消えて、東の空に紅殻を揉み込んだ様な時刻に、白城の刎橋の上に騎馬の侍が一人あらわれる。……宵の明星が本丸の櫓の北角にピカと見え初むる時、遠き方より又蹄の音が昼と夜の境を破・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・ こんな事では道を去る事三千里。まず明日からは心を入れ換えて勉強専門の事。こう決心して寝てしまう。 かかるありさまでこの薄暗い汚苦しい有名なカンバーウェルと云う貧乏町の隣町に昨年の末から今日までおったのである。おったのみならずこの先も留・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・旅費の多き旅行なれば、千里の路も即日の支度にて出立すれども、子を育するに不便利なりとて、一夕の思案を費やして進退を考えたる者あるを聞かず。家を移すに豆腐屋と酒屋の遠近をば念を入れて吟味し、あるいは近来の流行にて空気の良否など少しく詮索する様・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
・・・こいねがわくは吾が党の士、千里笈を担うてここに集り、才を育し智を養い、進退必ず礼を守り、交際必ず誼を重じ、もって他日世になす者あらば、また国家のために小補なきにあらず。かつまた、後来この挙に傚い、ますますその結構を大にし、ますますその会社を・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾の記」
出典:青空文庫