・・・が、その石塔が建った時、二人の僧形が紅梅の枝を提げて、朝早く祥光院の門をくぐった。 その一人は城下に名高い、松木蘭袋に紛れなかった。もう一人の僧形は、見る影もなく病み耄けていたが、それでも凛々しい物ごしに、どこか武士らしい容子があった。・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・ まさかとは思う……ことにその言った通り人恋しい折からなり、対手の僧形にも何分か気が許されて、 と二声ほど背後で呼んだ。」 五「物凄さも前に立つ。さあ、呼んだつもりの自分の声が、口へ出たか出んか分らな・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・ ――その軒の土間に、背後むきに蹲んだ僧形のものがある。坊主であろう。墨染の麻の法衣の破れ破れな形で、鬱金ももう鼠に汚れた布に――すぐ、分ったが、――三味線を一挺、盲目の琵琶背負に背負っている、漂泊う門附の類であろう。 何をか働く。・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
坪内君の功労は誰でも知ってる。何も特にいわんでも解ってる。明治の文学の最も偉大なる開拓者だといえばそれで済む。福地桜痴、末松謙澄などという人も創業時代の開拓者であるが、これらは鍬を入れてホジクリ返しただけで、真に力作して人跡未踏の処女・・・ 内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
・・・ ――きょう、みなさまの食堂も、はばかりながら創業満三箇年の日をむかえました。それを祝福する内意もあり、わずかではございますが、奉仕させていただきたく存じます。 その奉仕の品品が、入口の傍の硝子棚のなかに飾られている。赤い車海老はパ・・・ 太宰治 「逆行」
・・・父親は早暁から村へ下りて行ったのである。 スワは一日じゅう小屋へこもっていた。めずらしくきょうは髪をゆってみたのである。ぐるぐる巻いた髪の根へ、父親の土産の浪模様がついたたけながをむすんだ。それから焚火をうんと燃やして父親の帰るのを待っ・・・ 太宰治 「魚服記」
・・・のごときはかなりにこの意味の天然を生かしてはいる。早暁の町のアスファルトの上を風に吹かれて行く新聞紙や、スプレー川の濁水に流れる渦紋などはその一例である。これらの自然の風物には人間の言葉では説明しきれない、そうして映画によってのみ現わしうる・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・文化年間に至って百花園の創業者佐原菊塢が八重桜百五十本を白髭神社の南北に植えた。それから凡三十年を経て天保二年に隅田村の庄家阪田氏が二百本ほどの桜を寺島須崎小梅三村の堤に植えた。弘化三年七月洪水のために桜樹の害せられたものが多かったので、須・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・その創業わずかに五、六年に過ぎざれども、すでにその通用の政体をなせば、たとい政府の力をもって前の四ツ手駕籠に復古せんとするも、決してよくすべからず。 また今の学者を見るに、維新以来の官費生徒はこれを別にし、天保年間より、漢学にても洋学に・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・ただし、君は旧幕府の末世にあたりて乱に処し、また維新の初において創業に際したることなれば、おのずから今日の我々に異なり。我々は今日、治世にありて乱を思わず、創業の後を承けて守成を謀る者なり。時勢を殊にし事態を同じゅうせずといえども、熱心の熱・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
出典:青空文庫