・・・道の両側には生垣をめぐらし倉庫をかまえた農家が立並び、堤には桟橋が掛けられ、小舟が幾艘も繋がれている。 遥に水の行衛を眺めると、来路と同じく水田がひろがっているが、目を遮るものは空のはずれを行く雲より外には何物もない。卑湿の地もほどなく・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・或人の話に現時操觚を業となすものにして、その草稿に日本紙を用うるは生田葵山子とわたしとの二人のみだという。亡友唖々子もまたかつて万年筆を手にしたことがなかった。 千朶山房の草稿もその晩年『明星』に寄せられたものを見るに無罫の半紙に毛筆を・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・横町は真直なようでも不規則に迂曲っていて、片側に続いた倉庫の戸口からは何れも裏手の桟橋から下る堀割の水の面が丁度洞穴の中から外を覗いたように、暗い倉の中を透してギラギラ輝って見える。荒布の前掛を締めた荷揚の人足が水に臨んだ倉の戸口に蹲踞んで・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・月が出る。倉庫の屋根のかげになって、片側は真暗な河岸縁を新内のながしが通る。水の光で明く見える板橋の上を提灯つけた車が走る。それらの景色をばいい知れず美しく悲しく感じて、満腔の詩情を托したその頃の自分は若いものであった。煩悶を知らなかった。・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・ 清洲橋をわたった南側には、浅野セメントの製造場が依然として震災の後もむかしに変らず、かの恐しい建物と煙突とを聳かしているが、これとは反対の方向に歩みを運ぶと、窓のない平い倉庫の立ちつづく間に、一条の小道が曲り込んでいて、洋服に草履をは・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・以上の諸名家に次いで大正時代の市井狭斜の風俗を記録する操觚者の末に、たまたまわたくしの名が加えられたのは実に意外の光栄で、我事は既に終ったというような心持がする。 正宗谷崎二君がわたくしの文を批判する態度は頗寛大であって、ややもすれば称・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・一体に、それは住居だか倉庫だか分らないような建て方であった。二人は幾つかの角を曲った挙句、十字路から一軒置いて――この一軒も人が住んでるんだか住んでいないんだか分らない家――の隣へ入った。方角や歩数等から考えると、私が、汚れた孔雀のような恰・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・ 涎でも垂らすように、私の眼は涙を催しかけた。「馬鹿野郎!」 私は、力一杯怒鳴った。セコンドメイトの猫入らずを防ぐと同時に、私の欺され易いセンチメンタリズムを怒鳴りつけた。 倉庫は、街路に沿うて、並んで甲羅を乾していた。・・・ 葉山嘉樹 「浚渫船」
・・・前は、秋になると、大倉庫五棟に入り切れないほどの、小作米になる青田に向っていた。 邸後の森からは、小川が一度邸内の泉水を潜って、前の田へと灑がれていた。 消防組の赤い半纒を着た人たちや、青年会の連中が邸内のあちこちに眠そうな手で蚊を・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・ 彼は、自分から動く火吹き達磨のように、のたうちまわった挙句、船首の三角形をした、倉庫へ降りる格子床の上へ行きついた。そして静かになった。 暗くて、暑くて、不潔な、水夫室は、彼が「静か」になったにも拘らず、何かが、眼に見えない何かが・・・ 葉山嘉樹 「労働者の居ない船」
出典:青空文庫