・・・当時巌本善治氏の主宰していた女学雑誌は、婦人雑誌ではあったが、然し文学宗教其他種々の方面に渉って、徳富蘇峰氏の国民の友と相対した、一つの大きな勢力であった。北村君を先ず文壇に紹介したのは、この巌本善治氏であった。『厭世詩家と女性』その他のも・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・次郎兵衛はそれと相対して西北の隅に陣どり、むくんだ大きい顔に油をぎらぎら浮かせ、杯を持った左手をうしろから大廻しにゆっくり廻して口もとへ持っていって一口のんでは杯を目の高さにささげたまましばらくぼんやりしているのである。三郎は二人のまんなか・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・ただ相対して乗っている、よく肥った娘だなアと思う。あの頬の肉の豊かなこと、乳の大きなこと、りっぱな娘だなどと続いて思う。それがたび重なると、笑顔の美しいことも、耳の下に小さい黒子のあることも、こみ合った電車の吊皮にすらりとのべた腕の白いこと・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・第一の手術で「速度の相対性」を片付けると、必然の成行きとして「重力と加速度の問題」が起って来た。この急所の痛みは、他の急所の痛みが消えたために一層鋭く感ぜられて来た。しかしこの方の手術は一層面倒なものであった。第一に手術に使った在来の道具は・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・ 欧米における昨今のアインシュタインの盛名は非常なもので、彼の名や「相対原理」という言葉などが色々な第二次的な意味の流行語になっているらしい。ロンドンからの便りでは、新聞や通俗雑誌くらいしか売っていない店先にも、ちゃんとアインシュタイン・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・坂本繁二郎氏のセガンチニを草体で行ったような牛の絵でも今見てもちっとも見劣りがしない。安井氏のを見ると同氏帰朝後三越かどこかであった個人展の記憶が甦って来て実に愉快である。山下氏のでも梅原氏のでも、近頃のものよりどうしても両氏の昔のものの方・・・ 寺田寅彦 「二科展院展急行瞥見記」
・・・小西湖佳話に曰く「湖北ノ地、忍ヶ岡ト向ヶ岡トハ東西相対ス。其間一帯ノ平坦ヲ成ス。中ニ花柳ノ一郭アリ。根津ト曰フ。地ハ神祠ニ因ツテ名ヲ得タリ。祠ハ即根津神社ナリ。祠宇壮麗。祠辺一区ノ地、之ヲ曙ノ里ト称シ、林泉ノ勝ニ名アリ。丘陵苑池、樹石花草巧・・・ 永井荷風 「上野」
・・・滅びた江戸時代には芝の増上寺、上野の寛永寺と相対して大江戸の三霊山と仰がれたあの伝通院である。 伝通院の古刹は地勢から見ても小石川という高台の絶頂でありまた中心点であろう。小石川の高台はその源を関口の滝に発する江戸川に南側の麓を洗わせ、・・・ 永井荷風 「伝通院」
・・・日本人総体の集合意識は過去四五年前には日露戦争の意識だけになりきっておりました。その後日英同盟の意識で占領された時代もあります。かく推論の結果心理学者の解剖を拡張して集合の意識やまた長時間の意識の上に応用して考えてみますと、人間活力の発展の・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・けれども総体に「あの野郎」という心持ちのほうが勝っていた。そのあの野郎として重吉をながめると、宿をかえていつまでも知らせなかったり、さんざん人を待たせて、気の毒そうな顔もしなかったり、やっとはいってきたかと思うと、一面アルコールにいろどられ・・・ 夏目漱石 「手紙」
出典:青空文庫