・・・ 近藤浩一路氏は近年「光」の画を描く事を研究しているように見える。ただそれを研究しているという事が何より先に感ぜられるので、楽しんで見るだけのゆとりが自分には出て来ない。 大観氏の四枚の絵は自分には裾模様でも見るようで、絵としての感・・・ 寺田寅彦 「二科会その他」
・・・ 横山大観氏の絵だけには、いつでも何かしら人を引きつける多少の内容といったようなものがある。決して空虚な絵を描かない人である。今年の幽霊のような女の絵でも、決して好きにはなれないが、しかし一度見たら妙に眼に残って忘れられない不思議なもの・・・ 寺田寅彦 「二科展院展急行瞥見記」
・・・ 中央アジアの旅行中シナの大官からごちそうになったある西洋人の紀行中の記事に、数十種を算する献立のどれもこれもみんな一様な黴のにおいで統括されていた、といったようなことを書いている。 もう一つ日本人の常食に現われた特性と思われるのは・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・そしてそれは死生の境に出入する大患と、なんらかの点において非凡な人間との偶然な結合によってのみ始めて生じうる文辞の宝玉であるからであろう。 岩波文庫の「仰臥漫録」を夏服のかくしに入れてある。電車の中でも時々読む。腰かけられない時は立った・・・ 寺田寅彦 「備忘録」
・・・そうして大旱に逢った時に、深層の水分を取ることが出来なくなって、枯死してしまう。 少し唐突な話ではあるが、これと同じように、目前の利用のみを目当てにするような、いわゆる職業的の科学教育は結局基礎科学の根を枯死させることになりはしないか。・・・ 寺田寅彦 「鑢屑」
・・・或人が剃刀の疵に袂草を着けて血を止めたるは好けれども、其袂草の毒に感じて大患に罹りたることあり。畢竟無学の罪なり。呉々も心得置く可きことなり。是等の事に就ては世間に原書もあり翻訳書もあり、之を読むは左までの苦労にあらず、婦人の為めには却て面・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・すると、私がずっと子供の時分からもっていた思想の傾向――維新の志士肌ともいうべき傾向が、頭を擡げ出して来て、即ち、慷慨憂国というような輿論と、私のそんな思想とがぶつかり合って、其の結果、将来日本の深憂大患となるのはロシアに極ってる。こいつ今・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・ゴーリキイが書いている思い出の中に、ロシアに博覧会があったとき袁世凱が来て、いかにも支那大官らしい歩きつきで場内を見物してまわったときの情景がいきいきと描かれている。その時袁世凱がしきりにそこに陳列されていた一つの宝石をほめ、そのほめかたは・・・ 宮本百合子 「兄と弟」
・・・横山大観、梅原龍三郎、やっぱり細川護立侯の顔を立てるとか立てぬとか。由来、日本の芸道の精髄は気稟にあった。気魄ということは芸術の擬態、くわせものにまでつかわれるものであるが、これらの場合の進退には、そういう古典的意味での伝統さえ活かされてい・・・ 宮本百合子 「雨の小やみ」
・・・ 藤村の文豪としての在りかたは、例えてみれば、栖鳳や大観が大家であるありかたとどこか共通したものがあるように思う。大観、栖鳳と云えば、ああ、と大家たることへの畏服を用意している人々が、必ずしも絵画を理解しているとは云えないのと同じである・・・ 宮本百合子 「あられ笹」
出典:青空文庫