・・・ 白い布で頭を包んだ女に、自分は対外文化連絡協会からの手紙を渡した。「一寸まって下さい」 暫くすると、白い手術着を着た若い医師が手紙片手に出て来た。「院長は今日保健省へ行きましたが、当直医員の案内でもいいですか?」 自分・・・ 宮本百合子 「モスクワ日記から」
・・・特に、自分としては心にもないポーズを、母などが対外的にやるようなことが起って、嬉しさより苦痛と不安とが次第に加わった。 当時私は文学的な影響としては最も多くトルストイの翻訳から学びもし、模倣もしていた。「コサック」や「アンナ・カレニ・・・ 宮本百合子 「行方不明の処女作」
・・・と云って、木村の顔を見て、「君は大概知っているだろう」と言い足した。 木村は少しうるさいと思ったらしく顔を蹙めたが、直ぐ思い直した様子でこう云った。「そう。僕だって別に研究したのではありませんが、近代思想の支流ですから、あらまし知ってい・・・ 森鴎外 「食堂」
・・・費用も大概出来たので、近いうちに北川という若い医学士に跡を譲って、出発すると云っている。富田院長も四十は越しているが、まだ五分刈頭に白い筋も交らない。酒好だということが一寸見ても知れる、太った赭顔の男である。 極澹泊な独身生活をしている・・・ 森鴎外 「独身」
上 この武蔵野は時代物語ゆえ、まだ例はないが、その中の人物の言葉をば一種の体で書いた。この風の言葉は慶長ごろの俗語に足利ごろの俗語とを交ぜたものゆえ大概その時代には相応しているだろう。 ああ・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・いらっしゃれば大概二週間位は遊興をお尽しなさって、その間は、常に寂そりしてる市中が大そう賑になるんです。お帰りのあとはいつも火の消たようですが、この時の事は、村のものの一年中の話の種になって、あの時はドウであった、コウであったのと雑談が、始・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
・・・対内的でなくして対外的であった。徳川時代の主従関係のように個人的なものではなく、対国家の関係であった。これだけの相違が我々父子の間に存している。その事をまず小生は前記の手紙によって感じさせられたのである。 正直に言えば自分は、二十七日の・・・ 和辻哲郎 「蝸牛の角」
・・・今の青年教育は大概この弊に陥っています。ただ、性格のしっかりした青年は、反抗心によってこの教育の害悪から救われているのです。 私は右の二つの態度のいずれをも肯定し、いずれをも否定しました。ではどうしろというのか。私はこのことについて一つ・・・ 和辻哲郎 「すべての芽を培え」
出典:青空文庫