・・・ 神山さん、この太極堂と云うのは。」 洋一はそれでも珍しそうに、叔母の読んでいる手紙を覗きこんだ。「二町目の角に洋食屋がありましょう。あの露路をはいった左側です。」「じゃ君の清元の御師匠さんの近所じゃないか?」「ええ、まあそ・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・と坂田は発奮して、関根名人を指込むくらいの将棋指しになり、大阪名人を自称したが、この名人自称問題がもつれて、坂田は対局を遠ざかった。が、昭和十二年、当時の花形棋師木村、花田両八段を相手に、六十八歳の坂田は十六年振りに対局をした。当時木村と花・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・しかも坂田がこの詞を観戦記者に語ったのは、そのような永年の妻子の苦労や坂田自身の棋士としての運命を懸けた一生一代の対局の最中であった。一生苦労しつづけて死んだ細君の代りに、せめてもに娘にこれが父親の自分が遺すことの出来る唯一の遺産だといって・・・ 織田作之助 「勝負師」
・・・因みに坂田翁が木村八段と対局した南禅寺の書斎には「聴雨」の二字を書いた額が掛っていたとのことです。 次にこの小説で「私」を出したのはどういう秘密かとのお問いですが、これはあくまで秘密として置きましょう。ただ、僕が「私」を出さずに、この小・・・ 織田作之助 「吉岡芳兼様へ」
・・・あまりにも複雑な機巧に満ちたこの大曲に盛りつぶされ疲らされたすぐあとであったので、この単純なしかし新鮮なフィルムの音楽がいっそうおもしろく聞かれたのかもしれない。そうしてその翌晩はまた満州から放送のラジオで奉天の女学生の唱歌というのを聞いた・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・学位を取った日から勉強をやめてしまうような現金な学者が幾人かはあるとしても、それは大局の上から見ればそう重大な問題ではないであろう。少なくもその日まで勉強したことはまるで何もしなかったよりはやはりそれだけの貢献にはなっており、その日から止め・・・ 寺田寅彦 「学位について」
・・・という大曲の一部だという「入破」、次が「胡飲酒」、三番目が朗詠の一つだという「新豊」、第四が漢の高祖の作だという「武徳楽」であった。 始めての私にはこれらの曲や旋律の和声がみんなほとんど同じもののように聞えた。物に滲み入るような簫の音、・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・あの時に江戸川の大曲の花屋へ寄って求めたのがやはりベコニアであった。紙で包んだ花鉢をだいじにぶら下げて車にも乗らず早稲田まで持って行った。あのころからもうだいぶ悪くなっていた自分の胃はその日は特に固く突っ張るようで苦しかった。あとから考えて・・・ 寺田寅彦 「病室の花」
・・・それでもピアノの大曲となればやはりコンツェルトのように管弦が添うのが常である。合奏として見た連句で、三人ないし四五人までの共同制作になるものに比較さるべきものとしては各種のいわゆる「室内楽」がある。すなわち三重奏、四重奏、五重奏と称するのが・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・事実の大局から云えば活力を吾好むところに消費するというこの工夫精神は二六時中休みっこなく働いて、休みっこなく発展しています。元々社会があればこそ義務的の行動を余儀なくされる人間も放り出しておけばどこまでも自我本位に立脚するのは当然だから自分・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
出典:青空文庫